鏡よ鏡

□5滴
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『嬢ちゃん、生きてるか?』



懐かしい記憶が蘇る。そういえば親父さんは初め、私がお兄さん、なんて呼ぶと吃驚してたっけ。
やめろやめろって、俺は皆から親父と呼ばれてるからそう呼べと。そんな事を言って屈託無く笑った彼を、当時神様みたいに思ってた。
泥を落とし、擦り傷だらけの身体を手当てしてくれた後の暖かいお粥と常温の水。それを恐る恐る、ゆっくり体内に入れたら命を吹き返したように身体の隅々にまで熱が行き届いたんだ。

あったかくて、知らず知らずの内に泣いてしまっていた私を抱き寄せ、幼い子をあやすかの様に背中をゆっくりと擦ってくれた武風さん。
無性に人恋しくてすりっと彼の胸に頬ずりしてしまったのは、今みたいに久しぶりに感じた人の体温へただ安心してしまっていたんだと思う。

、ん?ちょっとまて。いまみたいに、だって?



「!??」

「あれ、おきた?」

「!?!」

「いやそんな一気に距離開けなくても」

「なっ、はっ!?」

「あはぁ。俺寒いんだけどなお姉さん。シーツ持ってかないでよ、唯でさえこんな寒い中真っ裸なのに。」

「!?!?!?」



衝動的に下を見た。なにも着て居なかった。ついでに奴のも見えた。どういうことだってばよ。

途端に戻ってきていた筈の血の気が引いていくのが分かる。私は一体何やらかしたんだ。
思い出せる最後は何やら色んなことに疲れてマイナス思考になっていたところまで。決して、わたしは、オビとあはんうふんなんぞしていない筈。はずだ。

しかしながらブルリと震えるこの体は、確かにさっきまでこの青年と熱を分け合っていたようで。
駆け巡る嫌な予感にボロシーツを頭まで被ってから、その周囲に散らばっていた奴の服を投げつけた。
あいて!なんていう言葉は総無視である。いやまじなんでこんな事になってんだ思い出せ私。



「なんだ、元気じゃん。さっきまであんなに死にそうな顔してた癖に。」

「ふくを!!きろ!!!」

「えー、どうしよかっな。」



よし殺す。そう思ってこれまた近くに転がっていた某王子の剣を振り上げると、焦った青年は冗談だってば!なんて抗議の声を上げたらしい。
のそのそとズボンやらシャツやらを身につけた奴を警戒心からジッと見つめていれば、やんエッチ!なんて言われたので今度こそ剣をナイフみたいにして投げてやった。ちっ、避けやがったか。
後ろ向いて!絶対振り返るな!なんて言いつつも、素早く服を身につける。けれどもご丁寧に下着まで周囲に投げ捨てられていた事から、脱がした時余程急いでいた事に勘づき息を飲み込んだ。

ふるりとまた、いろんな意味で身体が震える。でも確かに冷え過ぎていない体温は生きている証で。
やっとそこで凍死する前に救われたのだと気がつき、振り返った。私に言われた通りこちらへ背を向け、すぐ側の暖炉の火が消えないように薪を焼べている男は不気味なほどに何も言わない。
恩着せがましく助けてやったとも、私の勘違いを誤解だと訂正する事も。熱の対価を要求してくる事もなく、ただただこちらに背を向け私を待っている。



「ナナキ」

「んー?着替え終わった?」

「、うん。」

「そっか。」



パキリと薪が音を立てて割れた様だ。顔が歪んだのは、色んな事に納得いかなかったからだと強く認識する。
楽団の事や、助けた成り行き。聞きたいことは他にも沢山ある。けれど、沈黙を破るとどうなるのか分からない程馬鹿な私ではなかった。
きっと聞かれる。賊のこと。すぐ帰ってこなかったこと。必要以上に衰弱していた事、全部。だから私はゆっくり彼へと背を向けた。
さくりと立ち上がり、ぎこちない身体を動かして。棍棒を装着し、軽く髪を整え一言。有難うとだけ伝えれば、そこで彼はやっとこちらを向いた様だった。



「ね。」

「なに」

「、聞かれたくなさそうだから、1つだけ。他聞かないからこれだけ教えてくれる?」

「。」

「なんで俺の名前知ってたの?」



ドクンと一瞬心臓が鷲掴みにされたみたいに大きく脈打った気がして呼吸を忘れてしまった。
寝ぼけて働かない思考回路をフル稼働させる。どうする。どうしよう。なんと誤魔化そう。そもそも私は何時彼の名を口に出した。

硬直した私に気が付いたのか、彼は此方の考えを読み取ったかのように続ける。意識を失う直前に、呼ばれたのだと。
教えた覚えも無ければお互いにそれほど親しくしていたつもりも無く、この短期間では身の上など調べられない筈だと。勿論前から何かの疑いをもたれていたとしたら別だけど、そうでも無いよね?なんて。
ギシリと古い板が、彼がその場を動いた所為で悲鳴を上げた。目の前には例の鏡がある。そこには馬鹿みたいに蒼白な顔色をした私と、無表情に此方を見つめるオビという過去に紙面で垣間見た人間がいた。

鏡越しに視線が合う。誰だ、彼の感情が読みやすいだなんてレッテル貼ったの。嘘つき。全然何考えてるのか分からない。
深く、ふかく息を吸い込む。ゆっくりと吐いて、視線を下げた。逃げられない。だが言うつもりも無い。でも誤魔化す言葉が出てこない。さて、はて。



「君の名前はナナキ。そうよね?」

「お姉さん。」

「私はそれ以外の名前なんぞ知らないな。」

「ユエお姉さん。」

「、お願いだ。見逃してくれないかな?」



くしゃくしゃな顔をしている自分が居ることには気が付いたまま、振り返る。流石に自覚できるほど無茶な躱し方をしたもんだから、そこにはとても困った顔をしたオビがいた。
数秒間の沈黙。それが終わったら頭を掻きながら目を伏せ、盛大にため息を吐いた青年は言った。

お姉さん実は馬鹿でしょと。そう言って、そういえば雪止んでるねと。彼は私に背を向け窓の外を見る。
かの王子の剣を拾い、その柄の紋章に目を細めた後。奴はまた、何事も無かったかのように私へその剣を差し出してきた。
此方も困惑しながら受け取ればそのまま良いよ、なんて柔らかい言葉を頂く。目を見開いて凝視すれば何、気持ち悪いなんて。何処かで聞いたような言葉を貰って更に驚愕する。



「きみは、」

「なに。」

「っ、これは。参ったな」



顔を天井に上げ、物理的に視線を逸らしてはまた顔が歪む。ぷるぷると視界が揺れた気がした。
流してくれたのだ、目の前の青年は。この怪しさ満天の目の前の女を。柄に描かれるクラリネス王家の紋章を。
それが馬鹿みたいに暖かく感じて、失笑してしまう。溢れた涙は頬を伝った。これは、あれだ。きっと久々に親父さんの夢を見た所為に違いない。

我慢しろ。そう思ったと同時に口元へ手を当て蹲る。そしたら、え!?なんて驚きながらも一緒にしゃがみ込んでくる奴が側に居て。
泣き顔を見られたくなくて近付いてくるオビの顎を思いっきり手で押した。痛い!だなんて気にとめてやらない。
何なんだ、君は。どうしてそんな優しいの。これは間違いなく原作通り、色んな事に執着心がない所為よね、そうに決まってる。



「おねえさ、離してはな、痛いってば!」

「うるさいちょっと黙ろう。」

「何で!?あ、ちょ、掴まないで!俺なんでこんな事なってんの!??」

「自業自得ですねわかります。」

「えええええ」



ははっと元気よく笑えば、ぎょっと目を丸くされた。ホロホロ落ちてくる涙なんてもう気にせず大爆笑する。
諦めよう、そうするべきだ。彼は間違いなく私が保っていたい距離感よりも内側に居着いており、今更無かった事になんぞ出来やしない。
違和感なく、嫌悪を感じない程度の絶妙な位置に佇む特技は彼をこれからも原作の彼へと成長させる道導になるのだろう。

だからついに気が触れたんだね可哀想に、とかいうオビの頬を取り敢えず引っ張って、ばかはきみだと言っておいた。
もしかしたら油断させてさくりと殺されるのではなんて涙を拭きながら勘ぐるも、彼の表情を見てそれはないと断定する。
呆れたものだ。オビは初対面の時には想像が出来ない程、子供みたいに拗ねた様な、年相応の感情を表に出していた。
思わず頬を抓っていた両手をそのまま頭まで持っていき、ぐしゃぐしゃと撫で回してやればめっちゃ嫌がられる。ざまあみろ。年上を籠絡するからこうなるんです。



「で、どうすんの。雪は止んだけどこの暗さだし、凄い積もってるから野営地まで歩くのは得策じゃないよ。」

「日が昇るまで待つのが妥当かな。幸いナナキが持ってきてくれた火種のお陰で最低限の体温は維持できてるし。」

「、」

「野営地までそこまで距離はないから身軽な私達だけならそんな、なに?」

「オビでいいよ。」

「。」

「これで少しは生きやすくなるでしょ。二度は言わない。」



ぽかんとしていれば、さーてともあれ食事かな!なんて言いながら乾物を取り出し、手慣れた様子で食べられるように加工していく青年に私は瞠目する。
気遣われた?流してくれて更に?事情も聞かず??ちょっとよく分からない。
暫く固まっていたら筒に入った温かな飲み物と小さなバケットを渡された。まって、どっから取り出したし。手際良すぎてドン引きである。



「いるの?いらないの?」

「いる、いります。」

「ぷは、なんで敬語!」



もくりと固いパンを口に含ませて飲み物で柔らかくし、こくりと飲み込む。
私も持っていた手荷物の中から干し葡萄の様な果物とクルミを差し出せば、頂くよ、有難うとカラカラ笑いながら言われてしまった。

お礼を言うのは、此方の方である。そんな想いを飲み込んで苦笑した。
親父さんとも、イトヤとも違う居心地の良い距離感。近すぎず、遠すぎずで妥協するラインを教えてくれたのは、確かに君だったから。
お姉さん?という不思議そうな顔をする青年に小さく有難うと呟いた。

こうして小さな晩餐会は、寒い寒い館の中でゆっくりと幕を開けたのである。






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