鏡よ鏡

□4滴
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震えているのが気配で分かる。寒いのだ、彼は。この空間も、自分を取り巻くこの世界の空気も。暖かな居場所なんて必死に足掻かねば手に入らぬその環境は、とても耐えきれなくて。
だから彼は飛び出したんだろう。何かが変るわけでは無い。リスクも知ってる。自分が居なくなることでどんな混乱を招くのかも理解している。けれども、求めずにいられない。
ああ、なんと幼稚なのだろうか。愚直に、唯只管答えを探して迷子になる。強欲になれず臆病で、かといってはっきりとした拒絶も出来ずに現状から距離をとってみて。そしてまた、如何することも出来ず迷子になるんだ。



「ほんと。嫌になる位、わたしと似ていますね」

「、え?」

「貴方が貴方として出来上がった後出会っていたなら、私は突き放すつもりだったんだけどなぁ。」



苦笑して少年の手をもぎ取り、歩き出す。武器も灯もその場に置いたまま、目指すは例の鏡の場所だった。
驚きながらも後に続く王子に敬いなどもう使ってやらないと心に誓う。そしてもう一度頭へ刻み込もう。彼はまだ、幼い少年なのだ。
どれだけ貴族王族の振る舞いを身につけようが、私よりも年下で膝を抱えて震えている唯の男の子。

イトヤは、そんな私に何をしてくれただろう。怖がって震えている私に、親父さんは何を与えただろか。
深く、広く、考える。この世界は怖くて、独りぼっちで、寂しくて。けれども確かに私はあの時、周囲から手を差し出された。



『探し出せ、なんとしてでも!』

『そう荒ぶるな。次期国王が取り乱すと思わぬ厄介事に巻き込まれるぞ。』

『。』

『常に冷静であれ、イザナ。』

『しかし陛下』

『なに、彼奴も私の息子だ。お前同様考えなしでは無い。何か意図があるんだろうよ。』

『、ゼンはまだ幼い。事件に巻き込まれた可能性だって否定はできぬ筈。その言い方ではまるで弟が己の意思で出て行ったようにも聞こえます。』



鞄の中からインク瓶を取り出し、墨に見立てたそれを例の鏡へ残らずぶちまける。
それでも錆びた鉄の様な臭いは変えられず、その独特の臭いに気付き驚いた少年は、間をおかず空間へ流れでた声音に息を飲み込んだ様だった。
真っ黒い鏡の向こうからはっきりと聞こえるその声は、間違いなく彼の身内らしい。凜とした女性の声と何かに焦ったような青年の声。
ははうえ、あにうえ、と。そう呆然と言葉を漏らした王子の震えはもう止まっていた。その幻聴の様な音声に毒を盛られたとは疑わず、戸惑いながらも聞き入ってしまうのは幼さが故か。

そんな彼に苦笑し、漆黒の鏡をその辺りに落ちていた適当なボロ布で拭いてやる。すると薄ら映り込むその見慣れた景色に、少年は今度こそ言葉を詰まらせた。
ウィスタル城。某アレルギーの所為で今そこに居る筈も無い母親と、己の前では見せた事も無い冷静さを欠いた兄の様子に釘付けになっている。
鏡の向こうで会話するその二人は此方に気付く様子もなく、側近も警備兵もいないだだっ広い大きな部屋で話を続けていた。



『私はそうだと思っているよ。』

『、』

『あの子は優し過ぎる。人の機微を見抜くのが得意な癖に、汚い裏を知っても排除せず表を頑なに信じようとするきらいがある。』

『陛下』

『覚えておくといいイザナ。そういう者は、迷うんだよ。どちらを信じるべきか悩み苦しみ、己の芯が育ってやっと決断できる。』

『。』

『お前には父が居たな。そしてこの母も。だが私はウィラントへ移り、幼いゼンには忙しないお前しかいない。わたしはそんなあの子が、』

『ははうえ』

『この環境を怖がるのも無理は無いと考えているんだ。』



内容は間違いなく、かの第二王子の行方で。外の雪を見つめ、背中で語る王の姿を見つめる兄弟に柄にも無くイライラする。
チラリと隣を見れば、やはり彼は呆然しながらも身体を硬直させ、玉座の隣で寂しげに立つ弱々しいこの国の女王へと見入っていた。
否定はしない。恐らくだが、彼女の推測は当たっていた。幼いこの王子は、誰がどう見ても迷子だったから。
物理的な問題では無い。少年の立場が、環境が。私と同じく非日常的な何かが。少しずつ彼の精神を蝕んでいたのだ。

幼い子は真っ白で、どんな色にも染まるだろう。何よりも敏感で、周囲の色を取り込んでいく。
だからとても毒されやすい。優しいのであれば尚更だ。今の城は恐らく、原作よりも悪意のある者や善意のある者が入り乱れている事だろう。
何せ国王が城を移し、いくら王の才覚を持つとはいえ王族は息子王子が二人。利用なんぞ周りを囲えばいくらでも出来る。

ちがうのですと。ふいにそんな言葉が隣から聞こえた。思わず漏らしてしまったとでもいう様なそんな声に、気付かぬふりをしながらも再度鏡を見る。
拳が震えているのは、何も隣の少年だけではなかった。彼の兄も。だからそれに気が付いた私は態と何も言わずに見守る事へ徹してみる。
本当に、眩しい程ご立派な兄弟だと思った。鏡の中のもう一人の王子ですら何かに一瞬迷った末、彼女という母では無く、この国の王へと進言すべくその一定の距離を保ち続けている。
とんだ茶番だ。そんな嘲笑にも似た笑みが漏れてしまったけれど、それは誰にも気付かれない。やはりどうしても、王族貴族は好きになれなかった。



『母上、それは違います。あれはそんな未熟では無い。』

『?』

『ゼンは私の部屋へ来て言いました。俺も、クラリネスの王子だと。』

『!』

『俺とは違い、唯正直で。人を対等と見なし信じる力がある。だからどんな者でも味方に出来てしまう、そんな弟が』

「、」

『この城から逃げるような真似なんぞ、絶対にしません。何かの間違いです。』 

「あに、うえ。」



言い切る王子にもう一人の王子が高揚した気分になるのが分かった。けれども同時に自分がしでかした行為を自覚し、絶望した顔色になる。
当然だ。兄が自分へ向ける信頼はたった今、出来心で行った家出により裏切り行為となってしまったのだから。
内面はかの兄の言う通りでも、行動は女王の言う通りだったという事実に動揺を隠せぬまま、嗚咽を耐える彼へ私は呆れかえってしまう。

貴族も、王族も。一つ一つの行動に意味と意思を求める。それがどんなに小さな幼子であろうが、ふわりとした考えなしの行動は立場が許さない。それが如何しても好きになれない理由の一つだった。
どんなに身分があろうとも、人間なのにと心底思う。人間の子供は沢山失敗し、やがてそのちぐはぐな内面と行動を一致させ大人になっていく、そんな生物なのに。
隣の少年は子供である事が許されない。全ての言動に死を意味する責任が付きまとうのは、王族という価値観の所為だった。

己の意思で出て行ったと暴露すれば、母は、兄は、民は。果たしてそれが子供特有の我が儘であると認めてくれるのだろうか。
平民の子供であれば怒られるだろう、叱られるだろう。だきしめて、愛情を分かりやすい様に与えられるのだろう。
だが彼は?この少年はどうなるんだ。想定される周囲の人々の失望は、軽蔑は。恐らく仮面の笑顔に隠される。それをこの王子が。この人の機微に聡い少年が、気付かぬ訳もなかろうに。



「おれは、」

「。」

「こんなつもりじゃ、」



鏡からかき消えた風景に思わず手を伸ばし、少年の掌はピタリと鏡へ触れている。頬からは絶え間なく涙がこぼれ落ちていた。
じっと真っ黒くなった鏡を見て、王子は黙ったままピクリとも動かない。鏡に残った黒血が彼の腕を伝ってポトリと地面へ落下し、血だまりを作っているのが見えた。
知っている。条件はもう、揃ってるって事。新鮮ではないが大量の黒い血と、媒介となる王子の色んな感情が合わさった涙。あとはもう、願うだけ。



「隣の国の王子は、大層お馬鹿だそうです。」

「、」

「だから海は荒れ放題。王も忙しそうで、手がつけられずにこんな国境付近にまで魔の手は伸びている。」



それは衝動的に口走った内容だった。途端に重くなる瞼を必死に開けては言葉を紡ぐ。そうしたら、その体勢のまま、少年はやっと此方を向いた様だ。
呆然と、此方を見るその目はやっと今の現象を飲み込めてきたのか少しだけ警戒の色を見せている。
頭の中に連想するのは例のあの魔法陣。二重の円に、星印。その間に日本語で言葉を埋め尽くしては彼を元の場所へと祈るだけで。

本当にいいのかと、再度強く己へと問い掛けた。関わりたくないのだろう?王族とは。物語の主要人物とは。
この特典を彼の前で使う事はどう考えてもリスクが高すぎる。拷問か、監禁か。それとも死刑へ行き着くだろうか。
最悪の事態を沢山たくさん考えて、それから親父さんやイトヤ、山の獅子の皆の顔が頭を過ぎっていった。バカだなぁ。皆どうしてそんなに屈託無くわらっているの。



「賊は楽団、商人を格好の的にし、人さらいに強奪、罪は様々。野放しにしていてはクラリネスにまで被害が及ぶでしょう。」

「、なにを」

「だから貴方は視察へ行き、帰ってきた。賊は荒れる天候の所為で不慣れな土地への介入を諦めた為、少なくともこの冬の間はクラリネスにまで手を出す事はない。」

「何を言っているんだ、沙鮫」



そんな事を言いながら私も馬鹿みたいに緩い苦笑を与え、呆然としている彼を引き寄せてはその無防備な身体を抱きしめる。
思ったよりも小さくて、少し泣きそうになった。警戒してる癖にどうして抵抗しないんだと、そう叱ってくれる存在にどうか早く出会えれば良い。
ミツヒデ・ルーエン。木々・セイラン。白雪にオビ。原作で見たキラキラした君は、確かにその人達に囲まれながら凜としていて、真っ直ぐで。



「分かった?次からは絶対、こんな遠くまで家出なんてしちゃだめだよ」



やっぱりそんな彼を一度は見てみたいのだと願った瞬間、王子の背後で大きく反応した鏡が揺れるのを確認する。そして気が付けば、私は勢いよく少年を突き飛ばしていた。
驚いている表情のまま吸い込まれて見えなくなった彼は、きっと今頃あの王城の何処かにいるんだろう。機転が利くあの子の事だ。恐らく今言った情報を的確に整理し、上手く母や兄、周囲の人間へと伝えるに違いない。
持ち帰った情報はまぁお粗末ではあるが、きっとそこは年にしては上出来と言うことで少々のお咎めを受ける程度で済む筈だ。

ふぅっと、ため息を一つ。一件落着かななんて思いながらも私はもう一度鏡を見る。私の願いを聞き届けたそれは、また何の変哲もない鏡へと姿を変えていた。
黒く汚い血液も何故か跡形も無く消えている。それが無性に、悔しくて。王子が本当にあっけなくこの鏡へと触れていた事を思い出した。
過去に私がどれだけ苦戦していたかなんて知りもせず、唯々綺麗な涙を流しては帰りたい場所を求めた物語の王子様。呆れた事に、そこに疑惑や恐怖なんて、全くなかったんだ。

だから今度こそ嘲笑を浮かべながらも私は例の鏡へ触れてみる。黒い血液はもう残っていないし、感染症を恐れてこの埃っぽい空間で己に傷をつけるだなんて事はとても出来やしない。
媒介となるものも何も無いし、念いだけ何とかなれば苦労しないって、そんな事はわかりきっていたけれど。



「、ばか、だなぁ」



消え入りそうな声がでる。結論、鏡はやはり私の願いを叶えてはくれなかった。いやそもそもとして、媒介云々が揃っていたとしても私が帰れる保証なんぞ何処にもなかったのだと思い出す。
さっき魔法陣を省略した所為で身体が凄く、すごく重たくて苦笑した。そんな事も忘れてしまっていたのかと呆れるような感情が身を支配している。

鏡に映る蒼白な顔色をした私は、何かに後悔しているようで。それでいて、とても何かに縋りたそうな顔をしていた。
必死に隠しては踵を返す。王子と同じように帰れるなんぞ、夢見る年頃でも無いだろうに傑作だななんて独りごちるのも忘れない。
やっとの思いで階段を降りれば、そこはさっきまでの賑やかさなど何処にも無く。静寂が包み込んでいて、ただ中央の机に私の棍棒と王子の剣だけが取り残されていた。
ゆっくりとソファへ横になり、目を瞑る。寒い。身体が怠くて仕方が無い。早く魔術でもなんでも使って暖まらなければならないのに、少し位なら大丈夫だろうだなんて軽く考える私が居た。

冷え切った屋敷で虚ろになりながらも楽観的な思考に耽ったのは、自己防衛である。そうでもしなければ、可笑しくなりそうだったのだ。
帰りたい。私も、かえりたいのにと己の内側で誰かが駄々をこねている。家族の居る場所、暖かな居場所。思い浮かべたのは日本かタンバルンの山か、そんなのはどちらでも良かったんだ。
ええそうね。求めたものはとても単純だったと今なら簡単に納得できる。確かに頭を駆け巡るのは、あの時腕の中にあった王子の、私以外の人間の、ぬくもりで。
もう一度思い出そうとやっとの思いで手を握れば、既に凍えきっていた掌はまるでこの世界へ来たばかりの頃に死にかけた、自分自身の様だった。



(ひとりにしないで、なんてね)



口に出さなくて良かったと、本気で思う。あの鏡は家族の元へ帰るべき少年を送り出す事に一瞬迷い、決断を後悔し、綺麗な彼に縋り付くような本心をそのまま此方へと見せつけてきた。
そして残念ながら、すごく認めたくないけれど、それはちっぽけな自尊心しか持たぬ私を揺るがせるのに十分だったんだ。

彼が居なくなった瞬間に襲った静けさ。私と鏡だけが存在する肌寒い空間。それが馬鹿みたいに耐えられない。
調べなければ。早く。私が卑屈になってしまうその前に。私がこの世界に居続けられる方法。元の世界へ帰る方法。どっちでも良いから、確証をはやく。
自分で選んだの筈なのに、ひとりはさむくて唯恐ろしかった。人の気配が全くないこの環境が、とても怖かったんだ。

ふっと息を吐き出すような嗤いがこみ上げる。知らない場所。知らない世界。非現実的な、この体。最初と同じくそんな言葉だけで思考が遮断していった。
だって、未だに分からない。どうして私だった。どうして帰り方は教えてくれなかった。わたしは本当に、ちゃんとこの世界に存在してる?



「っ見つけた!」



瞬間ガタリ、と何処からか音がする。同時に響くその緩い声は何処かで聞いたことのある様な、無いような。
ふわふわする思考の中で思い当たる人物の名が浮かび、オビ、と彼の名を呟いた私はそこで完全に意識を失うのだった。






2020.6.1
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