生と死の境界線

□Y
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足を組んで頬杖をつき、目の前の机をトントンと一定のリズムで叩いていてもイライラは収まる筈もなく。
奴から発せられるチャラけた口調と大袈裟な振る舞いは、私の心を未だ酷く掻き乱し続けていた。
左耳から聞こえるクロームのため息に少しムッとすれば、案の定彼女は呆れたように言葉を放つ。



『で、アレクセイとの接触は疎か、未だユーリ・ローウェルとも出会えていないと?』

『、うるさいな。』

『仕方ありません。多少の危険は伴いますが、此方でさり気なく資料を改竄しておきましょう。』

『、』

『どちらにせよ、ザウデへの疑惑は早期の段階から植え付けておくべきです。何か問題が?』

『ない。どーもありがとう。』

『。』



相棒を危険にさらす事が少し悔しくて。やっぱり沈めてやろうかあの紫とぼんやり考えれば、その思念を拾い上げた彼女がもう一度大きな息を吐いたらしい。
呆れたのか、それとももっと別の悩みでもあるのだろうか。左耳の改造された魔道器を通し、複雑そうなクロームの思念が伝わってくる。

やっぱり例の騎士団長関連だろうなぁと察しつつ、ふわりと自身から出てきた欠伸を咬み殺してみた。
そういえば私、徹夜してんじゃん。どうりでなんてぼやきながらも、感情暴走の原因を突き止めて少し嬉しくなる。
勿論それを聞いた瞬間、クロームが無言の圧力をかけて来たのですぐさま謝るのは忘れない。いや、うん。なんて言うかマジごめんって。そんな怒んないでよね。

じっと耳をすませていれば、向こう側からかすかに聞こえてくるペンを走らせる音。
そして男性特有な重い声混じりのため息をきっかけに、今度こそぐちゃぐちゃしていた頭がすっと冷静になった気がした。
なるほど、向こうは上司と共に書類整理の真っ最中って所だろうか。これは失敬と思いながらも、さっきの態度は八つ当たりにも程があったと一人反省してみる。
が、次の瞬間、予想外にちっとも気にしていません。むしろ心配していますという彼女の想いが頭の中へすっ飛んできて、私は目を見開いた。
慌てて咳払いをしたのは、元々送る気のなかった感情だったのかも知れない。睡眠は大事ですからとはっきり付け加えられた思念に、思わず吹き出しそうになったのは内緒だ。


気を取り直しつつ、どう切り出そうかとお互いが迷った数十秒の沈黙が流れた後。それを打ち破ったのはまたしても彼女の優しい思念だった。
酷く弱々しい念で彼、ヘリオードまで保つでしょうか?と聞いてきたので、やはりと目を細めつつもその危うい真意に気付かぬ振りをする。
頭で「これもまた原作との差異である」と把握してしまった事実に苛まれながら、どうだろうなと最も尊ぶべき類の感情へ譲歩を示しておいた。

お気付きかも知れないが、彼女が持つアレクセイへの感情は本来あり得る筈のない、奇妙なものである。
未来を知ってしまったからこそ、黒幕である彼にすら情が芽生えかけているクロームは、果たして自身の変化に気付いているだろうか。

人間に同情を示し、助けたいと想いが膨らみ、本来原作で登場するクロームという人格では考えられないような思考をしているその事実。
行き過ぎて世界修正の対象者にならない事を心の底から願ってみた。でもよくよく考えれば、どうかそんな彼女がこれ以上傷つきません様にと、柄にもなく誰に願うというのだろうか。
そっと自身を嘲笑したのは、やはりどの世界でも人々が崇める神は傍観者であるのだと、そう悟っていたからなのかも知れない。



『奴の狂気が原作前に暴走しないなんてそんな保障、どこにもないしねぇ。』

『先走られて物語が総崩れになっても困るでしょう?何か手を考えねば。』

『一理ある。そうだ、私にしてくれたみたいにエアルで抑え込むのはどう?』

『原作を振り返れば元々狂気染みた片鱗がある筈です。勝算の方は?』

『五部だなぁ、効力もどうなるか分からないし。ま、でも他に思いつかないなら、試してみる価値はあるんじゃない?』

『何もしないよりはマシ、という事ですか。やってみます。』



会話中、クロームも同じ事を考えた筈だった。
だから何の前触れもなく、矛盾していますねと断定された時、しているなとゼロ口調ではっきり肯定し、同意してみる。
でもその後すぐにコンニチワ、マネキンですなんて芝居がかった思念を送り、雰囲気を茶化したらまぁ、うん。
思った通りすぐさま怒られたので現状打破を真剣に考えてみた。

皆が救われる未来を求めた私達は、現在とある大きな問題に直面している。
それは原作を壊す為に動いていた筈が、いつの間にかそれを正しく回す為の駒に成り下がっているという、何ともまぁ馬鹿げた話だった。
普通に考えてこれは非常事態だとも思う。立ちはだかる壁の根幹は世界が行った修正力であり、簡単に言ってしまえば私達は世界を敵に回しているに等しいのだから。
正直甘く見ていたなと頭の片隅で実感していれば、それをも思念として受け取ったクロームが恐怖と悲しみを混雑させた感情を送り返して来たので苦笑する。

やっぱりこの魔導器の悪い所は、伝える気のない事まで伝わる事だなと。深く息を吸い込んでは吐き出す作業を繰り返してみた。
アコールに告げる文句の数々を思い浮かべながら、不安に揺れる彼女へ私は次の念を飛ばし、足を組み直す。



『ストップ。組み込まれ型が意外だっただけで、私自身が世界に認識された事は話してた筈だよ。そんなに不安がらないで。』

『、これも予想範囲内である、と?』

『いや、まぁ意表は突かれたのは間違いないんだけどね。表だって行動する前に分かったのは不幸中の幸いって話。』

『、やり方はまだいくらでも修正できるという事ですか。』

『うん。でもこれからは今まで以上に原作との差異を把握しつつ、大まかな流れを保つ様、意識して動かないといけない。』

『そうしなければハナではなく、星喰みに世界を奪われる可能性が高くなる?』

『そ。正直痛手だけど、そこを逆手に取るってみるよ。原作と近い位置に居るならそれこそ人の命だって救いやすいし、各地を回れば情報だって手に入る。』



でしょ?と聞き返せば、少し安心したかの様にオレンジ色の感情が私の頭へ流れ込んでくる。彼女が抱え始めている不安は、なんとなく予想出来ていた。
世界永続の為に遥か昔からエアル調整を行ってきた始祖の隷長は、いわば世界の守り神。
そんな彼女にとって世界が敵に回るという事実は、多分身内に裏切られる様な、そんな感覚に近いのだろうと思う。

セナ、と弱々しくも美しい音を放つ念に反応を返せば、同じタイミングで世界を蝕む微量なハナと、例の白い湯が頭の中に浮かび上がってくる。
私じゃない。どうやらクロームが情報を整理しているらしく、彼女が今考えているであろうハナが齎す世界への被害が垣間見えた気がした。

ハナを世界から切り離す術を、何としてでも見つけ出さなければなりませんねと。
そんな小さな呟きと共に吐き出された強い決意に目を伏せる。悔しいけれど、それが見つからない可能性だって簡単に想像できていた。
それでも皆が救われる為に、私達は立ち止まる訳にはいかないのだと考えていた事も確か。彼女だけには伝わっていれば良いな、なんて。他人行儀にふと思う。

そう。最早状況は例えクロームが私を殺しても、全てが丸く収まる話では無くなってきたのである。
微量なハナが世界にあり続ける限り、例え星喰みを倒したとしても世界に平穏はやって来ない。
白い湯がいつ出没したにせよ、その後の月の涙が開花するまでの期間を振り返れば、ハナの勢力は長い年月をかけ、確実にエアルより強まっていると考えて間違いない筈だ。
そしてそこから読み取れるものは、例え原作が無事終了し、エアルの量が変わらずとも。
ハナは何かのきっかけさえ通せば徐々にその均衡を崩していき、いつでも世界に干渉できるという悍ましい結論である。



『、全くもって忌々しいのです。考えれば考えるほど、まるで世界とハナが手を組んでる様で、。』

『怖いの?』

『少し。』



何もしなくてもハナは世界を蝕む。世界を守るために動こうとしても、原作という世界の力が私達を阻んでいく。
だから、どうしてもその光の無い未来に目を奪われない為にも、私達は物事を客観的に考える必要があった。
クロームはまるで大地が生きとし生けるものを拒んでいるようだと表現するが、それは主観からの物言いだと心が私を急かしてくる。
原作でお姫様が世界の変化をその星の進化だと捉えた様に、外側から見てもっと別の考え方は無いのだろうか。

クロームが続ける言葉には、彼女が生きてきた年月分の重みがあった。
深い闇しか見えない未来。でもそこから先に私を救い上げてくれたのは彼女だったからと、どうでもいい言い訳を連ねては次の言葉を必死に探し出してみる。
乾いた笑みも出たけれど気にはしない。別に、自分の立ち位置を忘れている訳じゃなかった。
ただもしもこの身に厄災が無ければなんて、無駄だとは分かっていたけれど。


(バカだな。いいコンビなんて、求める方が間違っているだろうに)



『ふぅん。ま、どちらかと言えば世界を盾にしたハナが好き勝手暴れてるイメージに近いんだ。もっと気楽に考えてみようよ。』

『?』

『修正は世界が生み出す一種の防衛本能だと思えばいい。身内が危機に瀕してる。助けないのは始祖の隷長としてどうなんだ?』

『、!ふふ、意外ですね。元気付けてくれているのですか?』

『それは君の気のせい、かな。私はどう足掻いても厄災側だもの。!っと、ごめん。また連絡する。』

『、ええ。ユーリ・ローウェルは任せましたよ。』

『了解。』



エアルの流れをぷつりと遮断すれば、通信の様な念は途切れ、彼女の声が聞こえなくなる。
その事に少し安堵した瞬間、それを吹っ飛ばすかのように目の前へドンッと置かれたのは酒の瓶だった。
それから次々に置かれていく豪華な食事に目を細めれば、戻ってきた道化の男がにやにやと笑い、また少し不愉快になる。
クロームとの連絡を遮断したのは、この男がカウンターでの注文を終え、戻ってきたからだった。







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