短編

□白色世界
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 狭い部屋だけれど、シキがいなくなると急に広くなったように感じられた。がらんとして、静かだった。机の引き出しを開けると、シキの食事がいっぱい詰まっていた。暖色系のものがぎっしり。じわり。目頭が一層熱くなってきた。シキは何もしていないのに。この部屋で一日中大人しくしているのに。どうして警察はシキを連れていってしまったのだろう。ちゃんと連れていってもシキにご飯を食べさせてくれるだろうか。まさかすぐ殺すようなことはすまい。シキは寒色系の色はあまり好きではないということをちゃんと伝えればよかった。寒色系のものばかり食べさせられないといいが。ニュースでは、たくさんのランスパランが全国から集められているようだから、せめてシキにたくさん友だちができればいい。そう思うことで、自分を慰めようとした。
 今や仕事場でも『白色地帯』のことは話題に昇っていた。どうやら『白色地帯』が広がっているのはこの国だけではなく、世界中で拡大していっているようだった。『白色地帯』に飲み込まれた場所は全てが真っ白になる。人間や犬や猫なんかも真っ白になるかと思いきや、植物以外の生物は消失してしまうらしいとニュースでは言っていた。今や全国規模で『白色地帯』が発生し、拡大していっている。人々は何とか消失を免れようとしているが、非現実的で不可思議な現象の前にはその努力は空しいだけだった。どんどん人は消失していき、どんどん『白色地帯』は拡大していく。生き残っているのはランスパランだけ。そうだ。それならば、ランスパランに原因があるのだと疑っても仕方ないのかもしれない。でももし。もしもランスパランに『白色地帯』の原因があったとしても、シキには何の罪もないのに。シキは何もしていないのに。またその考えに帰着する。いけない。なんと未練がましいやつなんだ、自分は。シキは警察に連れていかれたのだ。もう、会うことはないかもしれない。次に会うときは、シキたちランスパランが解放されたときであるはず。そのときは恐らく、人類がすっかり消失してしまったときであることだろう。そのときには勿論、私も消失してしまっているのだ。そう考えると、怖くなってきた。こういうときにこそシキにいてほしかった。あの温かいしなやかな身体を抱きしめ、金色の瞳に恐怖の色を吸い取ってほしかった。シキがいないと落ち着かない。怖い。怖い。怖くてたまらない。死にたくない。いや、死ぬのと消失するのとはまた別なのかもしれない。消失したと思っているのはこの世界に残された人間たちだけで、もしかしたら消失したと思われている人間たちはどこか別の世界に飛ばされただけなのかもしれない。そんな非現実的なことを考えてみる。これは、逃げだと分かっていた。私はただ、恐ろしい現実から目を背けたいだけなのだ。
 シキが警察に連れ去られてから、『白色地帯』の拡大は更に加速したように私には思われた。
 仕事場に行くと、仕事場は全てが真っ白になっていた。思わず呆然として暫くその場に突っ立っていた。灰色だった机も、緑だった観葉植物も、青かった床も、全てが真っ白になっていた。誰もいなかった。私は仕事場から転がり出た。思わず口を押さえた。走った。とにかく走った。駅まで走って駅のトイレに駆け込んで、個室のドアを閉めた途端、吐いた。全てを出しても、身体のなかの気持ち悪さはなくならなかった。思わず自分を抱きしめた。身体が震えていた。
 家に帰ってテレビをつけると、もう番組は放送されていなかった。どのチャンネルをつけてもザーッと耳障りな音が流れるだけで、見られるものは何もなかった。暫くリモコンをいじっていたけれど、無駄だと分かると私はテレビを消してお風呂に入りもせずにベッドに横になった。ここが『白色地帯』に飲み込まれる日はいつなのだろうとぼんやり考えながら、先ほどまで恐怖を感じていたというのに何故か私は眠りに落ちていった。
 そこは、真っ白な世界だった。真っ白な世界で、私とシキの二人だけがいた。他には誰もいなくて。私とシキ以外、建物も乗り物も植物も何もかも全てが真っ白で。白以外の色を持っているのは私とシキだけで。どこまで行っても、白、白、白。目がくらんでしまいそうな純白。恐怖さえ感じさせる、汚れなき色。
 怖くなって、振り返った。そしたらそこには、いつの間にか私よりも大きく成長したシキがいた。薄紅色の鱗が、真っ白な世界で一際輝いていた。白しかないというのに、シキはどこか嬉しそうだった。
 良かった、とシキの黄金の瞳が言った。君を守れて、良かった。
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