短編

□カノン・ジムノペディ
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医者は、この「感染力」は、アキちゃんの努力次第で弱めることが出来るだろうと言った。正式名称はちゃんとあるのだけれど確か、何だか気に食わないと思ったから忘れてしまった。この二十五世紀において、一万人に一人の割合で、この「感染力」を持つ人間がいるらしい。一万人に一人って、果たして多いのかしら、それとも少ないのかしら。私にはよく分からないけれど、お母さんにとってはそんな多いか少ないかなんてどうでもいいことのようだった(本当は私にとってもどうでもいいことなのだけれど)。ただ、自分の娘だけでない、ということが、お母さんにとっては随分と救いになったようだ。私にとっては何の救いにもならなかったけれど。だって、関係ないじゃない。「他にも同じように不幸な人がいる」「一人だけじゃない」なんて。他に誰が同じような特性を持っていたとしてもそんなの意味ない。たとえ「仲間」がいたって、アキちゃんがその「感染力」を持っていることに変りない。なのにどうしてお母さんは、「アキちゃんだけじゃない」ってことにそんなに安堵できるのだろうか。私には分からない。
それと、もう一つ気になったのが、医者はこのアキちゃんの特性は別に大した病気ではないと言ったくせに、まだ幼かったアキちゃんを人間社会から隔離した、ということ。幼いうちは、特に「感染力」が強いらしくて、お父さんやお母さん、私でさえも、幼稚園生くらいの頃、アキちゃんとはなかなか触れ合わせてくれなかった。面会することはできたけれど、いつもガラス越し。ガラスがなければ、何だか白い変な服を着せられて、シャワーキャップのようなものとマスクの着用を義務付けられた。そして、家族以外の面会は一切禁止されていた。だから、アキちゃんは幼い頃、私たち家族と医者と看護士としか付き合いがなかった。同年代の子どもどころか、同じ「感染力」を持つ人すら、アキちゃんの入院していた病院にはいなかった。隔離されていたアキちゃんは、広い個室に、いつでも一人でぽつんと所在無さ気にベッドに腰掛けていたものだ。今でも、あの時のアキちゃんの様子を思い返すと目頭が熱くなってくる。
あんなに孤独な環境で、果たして幼い女の子がのびのびと育つことができただろうか。
「感染力」が大分弱まったと医者から診断されて、退院許可が下りたときには、「あんな状態」に陥っていて、当然だったのだ。
過去を思い出して気分が暗くなりかけていた私は、思わずそっとため息をついた。焦っては駄目。焦りから心の余裕を無くして、アキちゃんの引力に引きずりこまれてしまっては元も子もない。
でもその瞬間、悩ましげな私のため息に反応したのか、アキちゃんが微かに身じろぎをした。それは本当に微かだったけれど、この私が気づかないはずがない。何せ、今か今かとずっと待ち構えていたのだから。アキちゃんが私に何か話しかけてくれるのを。アキちゃんの準備が漸く整ったのかと思って、私はとんがった耳をピクリと動かして待った。でも、どうやら違ったようだ。アキちゃんの口が開かれる兆候はどうしても聞き取れなかった。そう悟ると、がっかりせずにはいられなかった。そしてがっかりした瞬間に、自分で自分を諌める。どうしてがっかりするのだ。まだ、そんなに時間は経っていないじゃないか。期待した自分が馬鹿だっただけで、アキちゃんは何も悪くない。そう、自分が馬鹿で、焦ってしまっただけ。焦っては駄目。もうこれで何度目か分からないけれど、とうに分かりきったことを心の中で自分に言い聞かせる。焦ったって、何にもならないのだから、と。その時だった。

「『何でそんなに自己中なの』って言われたの」
唐突に声が私の三角耳を通して内部に侵入し、鼓膜を振るわせ脳にその意味を伝えた。
それが、私が待ち望んでいた瞬間だと私の脳が理解するのにさほど時間がかかるはずもなく。飛び出してきた獲物に飛び掛りたいという衝動によく似ている想いを抑え、平静を保って私は何も言葉を発さずに続きを待つ。
アキちゃんは、枕に顔を押し付けたままの体勢を変えようという気はないようだった。
「でも、私、そんなつもりじゃあなかった」
枕のせいで声がくぐもっている。自慢じゃあないけれど、私は聴覚も嗅覚も人間のそれよりずっと優れているから、別に聞き取るのに苦労はしない。聞きづらいというのではないけれど……やっぱり、顔を合わせてくれないのはどこか寂しい。
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