短編

□不思議生物理論
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 温かいトーンを伴った少年の声が私の内に直接響く。どこか懐かしさを感じさせるその声に、私はすっかり落ち着きを取り戻した。
「私、そんなに有名? この前家に来た人魚もそう言っていたけど、流石に名前までは浸透していないようだったよ」
 と一番新しい「訪問客」のことを思い出しながら答える。頭がひどく朦朧としていて、うまく彼女の姿を思い描けない。外で寝たから余計に具合が悪化したようだ。これは本格的にまずいかもしれない。
『まぁ…名前までは滅多に広まらないけれど、ね。君に会うのに、名前を知る必要はないから。僕はたまたま小耳に挟んだだけだよ』
 彼の言葉にふぅんと思いながら、私は自分を見つめる瞳にひたすら惹きつけられていた。不思議な瞳だった。今まで会ってきた、どの「不思議生物」たちのものよりも。もっとも、瞳というものを持たない存在もいたけれど。
 じっと見つめていたから、琥珀の双眼にさっと違う色が混じったのが分かった。
『それよりも、理宇。具合が悪そうだね』
「え?あ、うん。ちょっと…熱があって」
 こう言ったときには、身体がふわふわと浮いているみたいに軽くなってきていた。心配そうな色が琥珀色に混じったのを、どこか遠くから見ているような感じがした。答えているのも私ではなくて、もう一人の私であるような、そんな錯覚を覚えた。自分という存在が身体から抜け出して、ちょっと斜め上から自分たちの様子を傍観している――こんなイメージがしっくりくるような状態だった。
『早く横になって休まないと』
 でも鍵が、
 そう言おうとして口を開きかけたけど、すぐに閉じた。いつの間にか狼の口には、私が探し求めていた鍵がくわえられていたのだ。見慣れた四葉のクローバーのストラップが揺れていたから、間違いない。
『さっき途中で拾ったんだ』
 彼は優雅な足取りで私に近づき、私が手のひらを上にして右手を差し出すと、その上にぽとりと鍵を落としてくれた。本当に彼が途中でその鍵を拾ったのかは分からないし、ついさっきまではこんなものくわえていなかったように思わなくもないけど、そんなこと考えている余裕なんて、なかった。
 ただひたすらベッドに横になりたいという欲求が内を支配していた。この奇妙な浮遊感、熱っぽい身体の違和感や寒気から解放されたくて仕方なかった。
「ありがとう」
 ひとまずお礼を言って、よろよろと立ち上がる。ぐらりとよろけたけど、何とか倒れずに済んだ。
 重たい制定鞄を右手に持ちなおし、階段を一段上がってドアの前に立つ。左手で鍵穴に鍵を差し込むとき、自分の手が震えているのが視界に映った。今熱はどれくらいに上がったのかな、なんて自嘲気味に考えた。鍵穴から鍵を引き抜いた。
 その時、突然身体の浮遊感がひどくなったかと思うと、頭の中の靄がさぁっと濃度を濃くして一面に広がった。それと同時に私の意識も途切れてしまったのだった。
 意識が完全に途切れてしまう前に、誰かに身体を支えられたような感覚だけがあった。
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