*宵の歌姫*

□密猟者
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 洞窟のなかには誰もいなかった。地面には争った形跡があり、壁にとりつけてあったはずの松明が炎を失って地面に転がっていた。地面についている乱れた足跡。それは、宵風たち狐のものだけでなく人間のものも混じっている。宵風たちが人型をとったということも考えられなくもないが、それならば足跡がこんなに地面をえぐるほど乱れているはずはないだろう。ミノリはすっかり青ざめた。がくんと膝の力が抜け、地面に崩れ落ちる。寒いわけでもないのに、がたがたと身体が震えてきた。目頭が熱くなり、熱い雫がぽたりと地面に落ちた。
 ラキはミノリの肩から飛び降りて彼女を見上げた。ミノリは両手で顔を覆って声もあげずに泣きだした。折角ここまで来たのに。そもそも、何のために彼をここに置いてきたというのか。こんな風に、密猟者に捕らえさせるために置いてきたのではない。たとえ動機は不純だったとしても、家族といればいいと思って置いてきたのだ。つらい別れを自分は経験したのだ。それなのに、何だ。どうして宵風が密猟者なんかに捕らえられなければならない。宵風は何も悪いことはしていないのに。いや、精霊たちはみな、こちらが何もしない限りこちらに危害を加えることはないのに。どうして人間はこうも自分勝手で、邪な心を持つことができるのだろう。自分の利益のために、平然と他者を傷つけることができるのだろう。ミノリには分からなかった。悲しくて苦しくて、ミノリは泣き続けた。ラキが心配そうに自分を見上げていることは分かったが、大丈夫だよと笑うことがどうしても今はできない。
 宵風は、今、どこにいるのだろう。もう自分の手の届かないところまで行ってしまったのだろうか。そう思うと、ミノリは果てしない絶望を感じた。もう会えないのかもしれない、ではなく、もう会えない。その考えがミノリの頭のなかを占めた。急に恐ろしくなってきて、ミノリは一層激しく泣き始めた。肩を震わせ、顔をくしゃくしゃにして、ラキが見ているのも構わずみっともなく泣いた。泣くことしか、彼女にはできなかった。
 ラキはどうしていいかわからず、ただ彼女を途方にくれた様子で見つめていた。慰めたいが、慰める言葉が思いつかない。今の彼女には、どんな言葉も受け入れてもらえないだろうという確信があった。今の彼女はもう悲しむので一杯一杯で、自分の家族が捕まったという考えに固執してしまっている。他の可能性を考える余裕すらないのだ。まだ捕まったと決まった訳ではないのに、そう言いたいのに、言い出せない。ラキに口を開かせない雰囲気が彼女にはあった。ラキは何とかして彼女を慰めようと口を開きかけたが、やっぱり諦めて悲しそうに俯いた。自分では、駄目なのだ。その、まだ会ったこともない狐の精霊とやらの存在が、彼女のなかでは大きすぎるのだ。自分は、その代わりにはなれない。ラキはまだ会ったこともない狐の精霊に嫉妬を覚えた。
 ミノリの涙はやがて涸れていった。ひとしきり泣くと、彼女は力つきたかのように呆然として座りこんだ。焦点は定まっておらず、両腕はだらんと力なく垂れ下がっている。ラキは不安になってミノリの膝に飛び乗った。が、ミノリが反応を示すことはない。
「ミノリ」
 試しに名前を呼んでみたが、反応はない。
「ミノリ」
 大丈夫ですか、と続けようとして、やめた。明らかに大丈夫な様子ではないのに、その質問は全く意味を成さない。ラキは自身の長い耳でミノリの涙に濡れた頬に触れたが、彼女はぴくりとも動かなかった。焦点の定まっていない瞳で、どこかを見ている。人型になって彼女を抱きしめようかとも思ったが、自分が人型になれば魔法の効果が切れて真っ暗になってしまう。急に暗くなれば、ミノリが更にパニックに陥るかもしれない。そう思うと、できなかった。ラキは切なそうに眉根を寄せて、ミノリを見上げ続けた。彼女の顔に、なにか彼女の心を救う方法が書いてあるとでもいうかのように。でも、やはり答えは何も見つからない。
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