短編

□おにゃんこ様
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おにゃんこ様は、カラスが自分の発言に興味を持ったと思ったらしく、うきうきして言った。そして、カラスから空へと視線を逸らし、恍惚とした表情を浮かべた。
「我は、空を飛んでみたいのだ」
「空を、飛びたい? 」
 猫には、特にお前のようなやつには到底無理だ、という言葉を危うく吐き出しそうになったが、カラスは何とかこらえた。
「そうだ。我は猫なのでな。お前たち鳥のように、翼をもたない。だから自分では空を羽ばたくことはできないのだ」
 そりゃそうだろうな、と内心で思う。
「しかし、だな。翼がないからといって空に憧れる気持ちが萎える訳ではないのだ。むしろ、逆に強くなってくるものなのだよ、憧れというのは。困難なことならば、なおさらな。我は、どうしても空を飛びたい。自分に翼がないのなら、誰かの手を借りるまで。噂では、我ら猫と同じく翼をもたない人間が空を飛ぶというではないか。それならば、我にだって飛べるはずなのだ。だから、お前を我の下僕にしようと思ったのだ」
 それならそれで、わざわざ自分を下僕にしなくても、ただ頼みごとをすれば良かったのに、とカラスは内心思ったがそれを口にはしなかった。なにせ、こいつはアホウなのだ。何を言ったって無駄なのだ、と既におにゃんこ様の性質をその鋭い目で見抜いているカラスであった。
 しかし問題は。どうやってこのデブ猫を空に運ぶか、ということである。
 どう考えたって無理だ、とカラスは思う。なにせ、本当にこのおにゃんこ様とやらはぶくぶくと太っているのだ。ただでさえ身体が大きいのにその上太っているときたら、背の肉を掴んで持ち上げてやることもできない。カラスは今まで重いものを足でつかんで運んだことがないので、おにゃんこ様が、自分を持ち上げろなどと言い出しはしないかと不安であった。
「だから、ほれ。早速我に空を飛ぶということを体験させてくれい」
 おにゃんこ様はカラスの意志などお構いなしに命令した。
 すると、どうだろう。身体が意志に反して勝手に動くではないか。
 カラスは内心あたふたとしながらも、表面上は冷静を保って自分の身体が一体どのようにしておにゃんこ様の要望を叶えてやるのか見届けてやろうと、まるで他人事のように構えることにした。
 黒い羽毛に包まれた身体は、ひょいと身軽に動いておにゃんこ様のすぐ傍まで来た。そしてそのままおにゃんこ様の上に飛び乗って、背中の皮を鷲掴みにするかと思いきや、ぐぐっと屈む姿勢を取った。
 ここに来てカラスはあせった。まさか、このデブ猫を背中に乗せる気なんじゃあ。
そんなの、無理だ。いくらなんでもこんなデブ猫を背中に乗せたら、羽ばたけないどころか自分の身体がつぶれてしまう。
しかし身体はそのまさかを実行しようとして、猫が上に乗りやすいようにと低く屈んでいた。猫はその意図を理解し、もぞりと大儀そうに動いて背中に前足をかけた。
小柄なカラスは嘴をくいしばりながら、今まで経験したことのない重みに耐えた。
「なんと滑りやすい毛であることか!」おにゃんこ様は文句を言った。
 毛じゃない。羽根だ、と心の内で訂正しながら、やはりカラスは重みに耐えなくてはならなかった。本当にこの猫は重たかった。カラスにとっては、背にこんなデブ猫を乗せるということは拷問に等しいことであった。
 おにゃんこ様は、苦労しいしい、なんとか小さな黒い背中の上に収まった。
「さあ、乗ったぞ。今すぐ飛び立つのだ!今すぐ我に風を感じさせるのだ!」
無理だと思っていたが、おにゃんこ様が命令を下すと不思議なことに、カラスの内には力が満ち溢れ、まるで重みなど全く感じていないかのように、身体はすっくと立ち上がった。そうして翼を左右に広げ、一回二回三回……とゆっくり羽ばたく。
本当にこんな奴を背中に乗せて飛べるのだろうか。カラスは不安でいっぱいだったが、身体はあくまで冷静に構えている。
カラスの足が、硬い塀を力強く蹴った。
そして次の瞬間には、いつものように空のなかに飛び込んでいた。
なんだ、俺ってば、やるじゃないか。こんなに重たいやつを背中に乗せていたって、いつも通り飛べるんだから。カラスは得意になった。

それにしても、えらく急に軽くなった気がする。カラスはふと不思議に思った。
背中にもいつものように風を感じるし。おかしいな。背中にはあいつが乗っているから、風など感じないはずなのに。
いや、それにしても空を飛ぶとは全くいい気分だ。何回飛んだって、この感覚は飽きることがない。飛ぶということは、まさに俺の天職だ、とカラスは段々愉快になってきて、しまいにはおにゃんこ様のことなど綺麗さっぱり忘れ去ってしまっていた。

先程おにゃんこ様のいた塀の下で、何かおおきな丸いものがぴくぴくと動いていることに、案外早く自由を得たカラスが気づくことはなかった。

end
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