*宵の歌姫*

□歌い手になった男
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  そこは、決して朝の来ない世界。永遠に閉じられた夜の世界。空には小さな星々が地上の人々を導くために懸命に輝き、地上には魔法の光がぽつぽつと星の光を消してしまわない程度に咲いている世界。本当かどうかも分からないが、神が、戦争に勝ったたったひとつの国だけを、朝の来る世界へ誘うと約束したとされる、戦の絶えない世界。暗闇に覆われた静かな世界。
 そんな世界に、少女と狐は生きていた。
 少女は名をミノリといった。愛らしい顔で狐を見つめ、輝くような漆黒の長い髪を櫛でとかしながら、少女は鼻歌を歌っていた。
 狐は名を宵風といった。金色の体毛を持つ彼は、不機嫌そうにふわふわとした尻尾を左右に揺らしながら、狐火を使って、集めてきた小枝や枯葉に火をつけようと試みていた。小枝はしけっていたので、火はつきにくかった。しかし何度か試していると、火はようやくついた。小さな焚き火が二人を照らした。
「ふぅ、やっとついたわぁ」と宵風は疲れたように言って、腰を下ろした。後ろ足で耳の辺りを掻き、目を細める。その様子を見てミノリが、
「ご苦労様、宵風。ブラッシングしてあげようか?」と尋ねると、
「ほんなら頼むわぁ」と宵風は腰をあげてミノリの横に行き、ミノリに寄り添うようにしてその場に伏せた。ミノリは微笑んで自分の櫛を鞄に直し、かわりに宵風用の茶色いブラシを取り出して、宵風のふわふわの体毛にそっと当てる。そのまま、頭の方向から尻尾の方へとすっとブラシを動かした。ブラシは途中で引っかかることなく、流れるように金色の体毛の上を滑っていく。ミノリはまた鼻歌を歌いながら、ブラシを優しく滑らかに動かした。宵風は気持ち良さそうに目を細めた。
「それにしても、」と宵風は身体を動かさないように気をつけて頭だけ捻ってミノリを見上げた。「野宿になってしもうて。道選びに失敗してしもうたなぁ」
 ミノリは楽しそうにブラッシングを続けながら宵風にちらと視線を落とした。
「たまには野宿もいいと思うよ。宿に泊まるのと違って、星空の下で直接眠るのは楽しいし」
 お金もかからないし、とつけたす。ミノリが野宿をあまり嫌がらないのは、お金がかからないという理由からだった。野宿が危険だということは頭では分かっているのだが、彼女は宵風がいるのですっかり安心しきってしまっていて、自分が危険な目に合うことなどこれっぽっちも危惧してはいなかった。そのことを分かっているだけに、宵風はあまり野宿をしたくないのだった。こんな警戒心の全くない娘など、格好の標的になるに決まっている。ミノリ一人を守れないほど自分が弱いとは思ってはいないが、万一のことを考えて、宵風は極力野宿を避けていた。しかし今回は、野宿を避けることができなかった。一番近くの村までに大分距離があったのだ。既に一日、ミノリと宵風はほとんど睡眠をとらずに歩き続けている。ミノリは鼻歌を歌うなどして元気なことをアピールしているが、彼女がすっかり疲れきっているのは、宵風にははっきりと分かった。この世界ではずっと夜が続くのでいつ野宿しても危険なことに変わりはなかった。宵風はブラッシングをしてもらって寛ぎながらも、周囲に注意を払うことに余念はなかった。
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