短編

□ダレカ
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 翌日。
 いつもの場所に、いつもの時間にやってくると、いつもニキが座っているブランコに小さな女の子の姿はなかった。不思議に思って辺りを見回してみると、すぐに見つけた。くねくね曲がったトンネル式のすべり台のてっぺんに、彼女は風に髪をもてあそばれながら立っていた。
 どうしてそんなところにいるの、と声をかけようとして、躊躇われた。ニキは真っ直ぐ睨みつけるようにして空を見上げていた。そんな彼女の様子があまりに厳粛だったので、声をかけることでその厳粛さを破るのは彼女に対してものすごく失礼なことであるように思われた。だから僕は待つことにした。彼女が、空から僕に視線を移すようになるまで。とりあえずすべり台の元に歩み寄って、彼女の近くで僕は待った。待つことには慣れていたから、一、二時間待ったところで何も苦痛は感じはしなかった。ニキとの付き合いに限らず、あらゆるひとと付き合う際に待つという行為はとても大切なものなのだ。
 待っている間も、雲は空をゆっくり駆けていった。空のグラデーションが青から次第にピンクや朱色やらを含む暖色系のものになり、やがて星がちらほらと見え始める頃には暗い闇が視界の端から忍び寄ってきていた。どんなときも、空は美しかった。空には自分を嫌う要素など何もないように感じられた。ただ空は、自分を愛し、自分が自分で在ることを感謝し、地上の生き物たちを優しく見下ろすという使命に徹していた。
――考えたの。
 唐突にニキが口を開いた。見上げると、ニキの姿は先程までニキが立っていた場所にはなく、代わりにすべり台の下からニキが現れた。ニキは滑り終えるとスカートをはらって、僕の元に歩いてきた。
――ニキはニキであって、天使ではないって。
 そうだよ、と言う代わりに僕は頷いた。何を言っても、彼女が言葉を紡ぐ動作を邪魔することになりそうだったからだ。僕は黙ることで彼女の言葉の続きを促した。
――翼があるからって、天使にはなれない。翼があるからって、ニキはニキ以外の者にはなれない。ニキはどうあがいたってニキでしかない。それなら、ニキはニキであることに一所懸命にならなければいけないんじゃないかって。
 僕はまた頷いた。ニキは一呼吸置いて、続けた。
――ニキは、どうしても自分が嫌いだった。ニキはニキであることをやめたかった。天使になって、皆を幸せにしたかった。でも、ニキ、本当にそれは天使にならなければできないこと? って自分に訊いたの。本当に別のダレカにならなければできないこと? って。そしたら、違うんじゃないか、って思った。ニキ、自分に嫌いなところたくさんある。でも、どうしたって自分を大っ嫌いにはなりきれないんだって気づいた。そう気づいたら、ニキ、自分のままでもいいんじゃないか、って思った。まだまだ嫌なところはたくさんあるけど、でも、自分であることまで捨てる必要はないって、思った。
 ニキは僕にくるりと背を向けた。スカートの裾がひらりと舞った。軽やかとまではいかなかったけれど、随分軽くなったようだ。翼も風に揺られてはためいていた。
――ニキは自分が嫌い。でも、大っ嫌いでもない。ニキはニキであることをやめられない。なら、ニキはニキであることを頑張るしかない。
 まるで自分に刷り込むように、ニキは何度も何度も同じことを繰り返した。それこそ、僕が聞き飽きるまで。それでも僕はそんな彼女を微笑ましく思った。愛おしく思った。
 やっぱりニキはニキなのだ。ニキであるからこそ素晴らしいのだ。
 いつの日か、そのことに本人が気づいてくれることを、僕は心の底から願った。

end
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