*宵の歌姫*

□狐と少女
1ページ/6ページ

 そこは、決して朝の来ない世界。永遠に閉じられた夜の世界。空には小さな星々が地上の人々を導くために懸命に輝き、地上には魔法の光がぽつぽつと星の光を消してしまわない程度に咲いている世界。本当かどうかも分からないが、神が、戦争に勝ったたったひとつの国だけを、朝の来る世界へ誘うと約束したとされる、戦の絶えない世界。暗闇に覆われた静かな世界。
 そんな世界に、狐は生きていた。
 金色の美しい体毛を持つその狐は、とある森の奥にひっそりと暮らしていた。彼には家族がいた。母と弟と妹が彼の帰りを今か今かと待っているのだった。しかし彼はまだ家族の元に帰る訳にはいかなかった。家族のために強くなると誓って、彼は引きとめようとする家族を振り切って、一人遠いこの地へとやって来たのだった。今でも目を閉じれば父の姿がまざまざと思い浮かぶ。家族を守るために自らを犠牲にした父の勇敢な姿。家族のために自ら人間に捕らえられた父。今では、生きているのか既にこの世にいないのかすら分からない。そんな父のことを思うと、強くなりたいという思いが彼の胸を熱くした。強くなりたい。自分のために。家族のために。
 彼は人間のせいで父親を失ったが、人間に復讐したいとまでは思っていなかった。確かに人間は彼ら一族を不幸のどん底に陥れた。しかしそれはあくまで一部の人間がやったことであって、人間全体が、極悪非道な生き物ではないと彼はちゃんと理解していた。だから復讐しようなどという愚かな考えは彼の頭には思いつきもしなかったし、人間を憎む気持ちもそれ程強くはなかった。しかし人間が好きかと問われれば、彼は否と答えるしかない。極力、人間とは関わりあいになりたくなかった。だから彼が自らの修行の地として選んだこの場所も、当然のことながら人間が好んで入りこまないくらい鬱蒼と茂った森だった。森には盗賊が住んでいるとは風の噂で聞いてはいたが、今のところそういった輩に出くわしたことはなかった。
 その日も彼は一匹で修行に励んでいた。狐火やら幻術やらといった自らの持つ技を懸命になって磨き、ほとんど休むことなく修行に打ち込んでいた。彼の狐火は、父がいた頃よりも火力が強くなり、幻術はより一層鮮やかで現実と区別することが出来ないほどにまで成長していた。
 彼は幻術を磨くことに専念していた。神経を研ぎ澄ませ、より鮮やかで、より現実と見間違うほどのリアリティを求めて、彼は虚空に対峙していた。ガサリと物音がしたのはそんな時だった。
 彼は茂みが揺れる音にはっとして気配を尖らせ、辺りにさっと視線を走らせた。揺れている茂みはすぐに見つかった。それは彼の後方にある茂みのひとつだった。彼は身構えた。一瞬逃げることも考えたが、相手が相手なら幻術を試してみるのもいいかもしれないと考えたのだ。だから彼はその場を去らずに、茂みから飛び出してくるであろう者を待った。熊か? 狼か? それとも盗賊か? 彼はぴりぴりと張り詰めた空気を生み出して構えた。茂みを揺らしていた者は数秒の後に姿を現した。その姿を見て、彼は目を見開いた。相手もまた同じように目を見開いて彼を見ていた。互いに全く動かずに見つめあい、膠着状態となった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ