短編

□ダレカ
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ニキは天使になりたいと言った。だから僕はこう言ってやった。
「無理だよ。だって、ニキはニキだもん」
 それでもなりたいのだとニキは僕に向かって唇を尖らせた。眉間にぎゅっと皺を寄せていたのは、泣きそうになっていたのをこらえるためだったろうか。ニキはちょっとしたことですぐ泣くから、よく僕が泣き虫泣き虫とニキをからかっていたのが結構堪えていたのかもしれない。ニキの背中では、小さな一対の白い翼がはたはたと動いていた。
 僕はそんな彼女の翼を、何の感慨もなく見やっていた。
 ニキは傍から見れば確かに天使にしか見えなかった。
 つぶらな瞳に愛らしい顔、華奢な体つき、透き通るように白い肌、艶やかなダークブラウンの髪、そして何より、その小さな背中に生えた一対の翼。
 何も知らない人間が見たら、まず天使と思いこむこと間違いないだろう。
 でもニキはニキでしかなかった。ニキはあくまでニキであって、本人がどんなに強く願ったところで、あの清純な天使にはなれないのだった。
――今日ね、天使? って聞かれたの。
 夕方、いつもの場所に行ったら、ニキは僕の方を見もしないでぽつりと虚空に言葉を投げかけた。その姿があんまり寂しそうだったから、僕は、また? と呆れた声音で言うことができなかった。
――何で天使だと思ったの、って聞いたの。
 相変わらず僕の方を見向きもしないでニキは続けた。僕が聞いていることを前提に話しているのか、それとも聞かれなくてもいいからただ胸の内を吐露したいだけなのか、どちらなのかは分からなかったけれど、僕はひとまず彼女の話を聞くことにした。ニキが素直になれる相手は僕くらいなもんだから、僕までニキを無視してしまったら、ニキは誰にも心を許すことができなくなってしまう。流石にそれは可哀想だと思ったし、僕自身ニキが独りぼっちになってしまうのは望んでいなかったから、ニキの誰に向かって言うでもない愚痴を聞くのは自然の流れだった。
――そしたらね、だって翼があるから、ってその人は言ったの。
 僕が続きを促す必要はない。ニキは勝手に今日あったことを明らかにしていく。
――翼があるから天使なの? 翼がなかったら天使じゃないの? って聞いたの。そしたら、その人は口をつぐんじゃって、答えてくれなかった。
 とここでニキはようやく僕に顔を向けた。実際に涙こそ流しはしなかったものの、今にも泣きそうであることは窺い知れた。
――ねぇ。どうやったらニキは天使になれるのかな? ニキ、天使になれたなら何だってするよ。どんな試練だって耐えてみせるよ。だから、ねぇ、教えてよ。どうやったら天使になれるの? 翼があるだけじゃだめなの?
「無理だよ」と僕は言わざるを得ない。どうやったって、ニキはニキであって天使ではないのだ。いくらその背に翼を与えられたからって、天使になんかなれやしないのだ。それはニキにもちゃんと分かっているはずだった。分かっているはずなのに、ニキはどうしても求めざるを得ないのだ。
 予想通り、ニキは顔をくしゃくしゃに歪めて僕を見上げた。
――そんなこと、言わないで。もしかしたら、なれるかもしれないじゃない。
「そうは言っても、無理なんだよ。ニキはにきなんだから」
――なら、どうしてニキに翼をくれたの?
「ニキが望んだからだよ」
――ニキは、天使になることを望んだ。
「うん。でも、そのために翼がほしいと望んだじゃないか」
――本当は天使になることを望んだの。
「それは、駄目だよ」
――どうして?
「だって、ニキは笑鬼だから。ニキは笑鬼として生まれたんだから、自分の存在をどんなに憎んだところで、ニキはニキであることをやめられない。天使になるということは、ニキがニキでなくなってしまうということだから。それは、宇宙の理に反する。生き物は、どうあがいたって、どんなに望んだって、自分以外の存在にはなれやしないんだ。自分であることをやめるとき、それは、その生を終えるときなんだよ」
――それでもニキは天使になりたい。人の笑みを食べて生きる鬼よりも、人に笑みを与えられる天使になりたい。
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