『ごくせん』

□〜恋 嵐 koinoarashi〜特別編
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特別編 狂ったの感情
―Side 久美子―


夢を見た。

四代目って呼ばれている慎が、ゆっくりと倒れるところ。

赤い、赤い血が。

あたしの目の前を覆うところ。

世界が真っ黒になるところ…。



ガバッて飛び起きて。
必死で、荒い呼吸を抑える。

震える手、漏れる声。溢れてくる涙と冷や汗を、必死で止める。

「…ん」

隣でなくなったぬくもりを探して腕を彷徨わせながら、慎が安らかな寝息をたてている。

…大丈夫。
ここに、いる。

あたしの隣にいるじゃないか。

ちゃんと、生きてる。

彷徨っている手を取って、ぎゅって握る。


暖かい…。

ぽすんとシーツに再び身を倒して。

慎の裸の胸に頬を寄せると。トクントクンと聴こえる心音。

安心する。

涙で滲む世界を見たくなくて、ぎゅっと目を閉じた…。


本当は。
まだ怖い。


このぬくもりがいつか消えるんじゃないかって。

この音がいつかなくなるじゃないかって。

手を取ったことを、後悔する日が来るんじゃないかって…。

あたし、いつの間にこんなに弱くなったんだろ。


いつの間にこんなに好きになってたんだろう…。




きっと、慎自身も。
内山たちも。
矢吹や小田切たちも。

おじいちゃんたちでさえ。

慎の気持ちの方が大きいって。

慎が先に惚れたんだって思ってるんだろう。

でも本当は違う。

慎よりずっと先に。

あいつの心に触れた時から。


あたしはあいつを好きだった…。

ただ、あたしはこう見えても。

慎より五つも年上で。

女で。

それを隠すのが上手かっただけ…。

ふと、先日久しぶりに会った川嶋先生と藤山先生との会話を思い出した。

「でも良かったな〜ヤンクミ。今幸せそうで」

「本当に。一時はどうなるかと思いましたもん。山口先生、素直じゃないから」

あの2人には女としての経験値の差か。ずっと昔からあたしの気持ちなんてバレてて。

だからかな。あたしも素直になれる。

唯一と言ってもいい、あたしの女友達2人。

任侠一家の孫娘と知っても変わらず接してくれた人たち。

「でも、正直…まだ怖いです」

俯いたあたしに、2人は怒る。

「未来なんてどうなるんかわからんのやで!?
それこそアンタが明日事故でもあって死ぬかもしれへん!」

「そうですよ!来るか来ないかわからない未来より、後悔しないように毎日を幸せに生きないと!もったいないですよ!」

声を荒げた2人に苦笑して言葉を返したんだ。

「はい、そうですね」

優しい優しい2人。

あたしの狂った恋を、ずっと見守ってくれていた…。


初めて出会った春。

体育館で、堂々と遅刻して入ってきたあいつ。

整った顔立ちに、堂々とした立ち姿。

きれいな瞳。
痛いくらいにまっすぐに見上げる視線。

それなのに、生きることを諦めたような顔してたあいつ。

最初の印象は「手強そうだな」ってくらいで。

リーダーなのはすぐにわかった。

身に纏うオーラが、他の奴らと別格だったから。

ダチのためだけに。
妹のためだけに。

冷めた目を熱くして。

あたしを、大人を。睨むその目に心が震えた。

お前のその頭と、容姿なら。

もっと上手く生きられるはずなのに。

まっすぐすぎて。

何でもできるくせに、生きることに不器用で。

馬鹿だなって、何度も思った。

少しずつ距離を近づけて。

初めて「ヤンクミ」って呼ばれた時。

本当は泣きたいほど、嬉しかったんだ…。

生徒なのに。
あたしは教師なのに。
カタギの男なのに。

あいつを知れば、知るほど。

距離が近くなれば、なるほど。

愛しくて愛しくて。

あまりしゃべる方ではないあいつは。

その分、瞳で多く語る。

その目が、あたしに語るから。

その度に想いが溢れてしまいそうだった。

あいつの瞳に、あたしへの想いの欠片を見つけた時はびっくりした。

どうしよう、どうしよう、どうしよう。

そればっかり。

初めて「好きだ」って言われた時。

嬉しくて嬉しくて。思わず逃げちゃったけど。

生徒と教師だけど。

沢田だし。

なんとかなるって簡単に思って。

「あたしも好きだよ」って言ったらどんな顔してくれるかなって思って。

眠りについた。


その時見た夢は、赤と黒の世界。

無の世界。

怖くて。
怖くて。

夜中に飛び起きて。

何度も吐いた。

涙が止まらなくて。

あいつの生きていない世界なんて、耐えられないよ…。


震える手を必死で隠して、あいつを拒絶した。

あいつの心に大きな傷を、あたしが付けたんだ。

自分の心、守るためだけに。


なのに、あいつはあたしのそばを離れない。

初めての口付けは、身体が燃えるんじゃないかってくらい熱くて。

このまま死んでもいいってくらい幸せで。

それなのに。

誰かあたしを殺して!って叫びたいくらいの恐怖だった。


あいつがどんな気持ちでアフリカ行きを決めたのか、あたしは知らない。


でも、きっと。

あたしがつけるたくさんの傷に絶えれなくなったんだと思う。

あたしは、あいつを傷つける度に、自分にも同じように傷をつけてた。

そうすることでしか、心を保てなかったんだと思う。

今、思うと。
あいつもあたしも狂ってたんだろう。

あたしから離れるあいつに、絶対治らない大きな傷をつけたかった。

あいつの手を取れないあたしに、大きな罰が欲しかった。

だから。その狂気のままに、お互いの身体を欲した。

身体が溶けるくらい熱くなったのに。

時間の経過とともに下がるのは、心の体温。

身体に残るあいつの痕跡も、いつかは消える。

そう思ったら悔しくて。

穏やかに眠る、あいつの顔を見て。

その白い首元に、手をかけた。

少しずつ力を入れていくと。

あいつの綺麗な顔が、徐々に歪んでいって。

あいつの柔らかな唇が、あたしの名前を形取った時。

あたしはその手を勢いよく離した。


あいつの命も。
身体も。
心も。

あたしのものにはならない。

あたしのものに、しちゃいけない。



代わりに奪った、あいつの指輪…。

テーブルに無造作に投げ出された、いつも親指にはまっていた鈍く光るリング。

もう涙は出なかった…。


それから2年。

帰国したあいつは。
相変わらずで。

その瞳があたしを好きだって言ってる。

馬鹿だよ、お前。

なんでこんな狂った女に惚れてるんだ?

何もかも、一人で覚悟決めて。

四代目になるとか言っちゃって。


…そんな恐ろしいこと、許せるはずないのに。

…あたしは狂ってる。

お前がそんな覚悟を決めるほどの、人生投げ出すほどの女じゃないだろう?

なのに、なんで?

なんとなく、思い出して。掘り起こしたタイムカプセル。

あたしに宛てられたお前の書いた手紙。

あたしの結婚が決まったらあけようって言ってたソレは…。


本当に馬鹿だよ。
お前。

あたしが別の男と結婚するとか考えないんだ?



―何も書かない。
だって、今これを見てるお前の横には、未来の俺がいるから。


そう、たった一文だけ添えられた、婚姻届。


しっかり自分の名前とか記入済みで?


マジ馬鹿だよ、お前…。


涙が溢れて止まらないんだ。

お前がそばにいると、あたしは弱くなるよ。

だんだん狂っていく。

そんなに狂ったあたしのそばがいいのか?

命もいらないってお前は言うのか?



あたしは本当に弱くなって。

立てた誓いとか、背負った罰とか。

一人でいる覚悟とか。

全部、投げ出してしまって。


残された術は、お前の手を取ることだけだった。




涙を追いやって。

ようやくあたしは再びまぶたを開ける。

そこは赤と黒の世界じゃなくて。

慎のいない、無の世界じゃなくて。

穏やかな寝息を立てる慎がそばにいる、綺麗な世界。

「慎…」

いつもの雄弁に語る瞳は今は見えない。

ねえ。
慎。

あたし本当に弱いんだ。

お前がそばにいると、もっともっと弱くなるよ。

きっと、もう。

あたしは一人じゃ生きられないから。

今、慎があたしの手を離したりしたら。

それこそ、暴れ狂って。

あたしは慎を殺すだろう…。



だから、慎。
ずっとあたしのそばにいてね…。





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