『ごくせん』

□はじまり
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その恋の始まりがいつだったかなんて、覚えていない。


ただ思い出すのは「絶対に裏切らない」と言い切った強い瞳。

俺たちに謝らせるためだけに、刑事に頭を下げたこと。

俺たちの卒業に自分の身をかけてくれたこと。

「教師になることが夢だった」と語ってくれたあの日。

全開で笑った顔。

風になびく黒髪。

顔をくしゃくしゃにして泣いた顔。

俺たちを守ってくれた背中。

頭を撫でてくれる温かい手のひら。

いつも、まっすぐに見てくれる瞳。

数え上げれば、キリがないくらい。


一つ一つが、輝いていた日々。



「竜?どうした?」

目を閉じてじっと黙っている俺に、そう問いかけるのは。

あの頃の俺にとって、たった一つの真実だった大人。担任のセンコー。

「なんでもねぇよ」

その細い腰をぐっと抱き寄せて、顔を寄せる。

「わ!?な、何!?」

こういう関係になって大分経つのに未だ初々しいその態度に俺は笑う。

そう。

こういう関係になったはじまりは今でもしっかり覚えている。



卒業して2ヶ月以上経った、どしゃぶりの雨の日だった。

大学帰りの俺と、学校帰りのこいつと。

偶然に鉢合わせた日。


俺が一人暮らしするマンションの方が近いからと、雨の中二人で走って。

ドアを閉めて、振り返った瞬間に目に入ったその姿。

雨に濡れた黒い髪が、白い首元に張り付く。

ジャージも濡れそぼり、その細い身体を強調させて。

理性が働くこともなく。

ただ自然に、それが当然のごとく手が伸びた。

「…っん!?」

俺の突然に口付けに、目を見開いて。

はじめてのキスはお互いが目を開けたままって言う変なものだった。

それでも、俺はまっすぐにその目を見つめながら。
こいつの口内を貪った。


「っん…ぁう…んっ」

舌を絡め、呼吸を奪い。

足で身体を拘束し、右手でその両手を奪い。左手で腰を抱きとめ。

「…っふぁ」

溢れた唾液をなめ取って、甘さのない濃厚なだけのキスを終える。


次にきたのは、拳じゃなくって。

パンッ高く鳴った俺の頬。

「…ってぇ」

「何、考えてんだ!!」

久しぶりに聞くこいつの怒鳴り声に、顔をゆるゆると上げれば。

濡れた頬。

それは、雨じゃないもので。

「…何、考えてんだ…」

か細くなる声と反対に大きくなっていく嗚咽。

「……」


俺は泣くそいつの顔を見ながら、なんの感情も沸かなかった。

ただ、その姿を眺める。

ただ、真っ白で空虚な心…。

満たされることのない感情。


もう暗闇に染まることはないけれども、それでも空いたままの心。

「好きだ」

零れたのはたった一言。


「!!」


涙と雨でくしゃくしゃになった顔を上げて、俺を凝視する。


「〜それを先に言え!このバカ!!」


始めて見る泣き笑いの表情で、俺の胸へと飛び込んでくるイトシイ女。

「あたしも好きだっ」

「……」


途端にあふれ出す感情の波。

泣かせてしまった、という罪悪感。

胸の中にいるという幸福感。

互いに冷えてしまった身体に、風邪ひいちまうな、とか。

もう一度キスしたい、とか…。

もっと触れたいという衝動。


濡れた頬に手をやって、顎をあげさせる。

情欲を含んだ熱い眼差しに、欲するがまま口付けを落とした。


それが、二人のはじまりの日。



「どうしたんだよ?」

俺の腕の中で、恥ずかしそうに唇を尖らせる。

「昔のこと、思い出してた」

「昔?」

「高校ん時とか。俺らのはじまりん時のこととか…」

「ふーん?」


何も感じなかった。
感じるのは、苛立ちや焦りばっかりだった、あの頃。


「明日もまた新しいはじまりだな!」

「……そうだな」


幸福とか、安心とか。

渇望とか、不安とか。

泣きたくなるくらいの感情の波は。

全て、こいつに出会ってから、はじまった。


「愛してる。久美子」

「ん。あたしもだぞ」

温かい唇がこんなに幸せだってことも…。



明日。
ようやく。

俺は、こいつの全てを手に入れる。

山口久美子が山口久美子じゃなくなる日。


新たな、俺たちのはじまり。





END
 

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