D.グレ短編1
□小さな蕾
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春。
別れの季節でもあり、出会いの季節でもある。
すみれもこの春、高校を卒業して、美術の先生になりたくて、親の反対を押し切り、田舎から都心の美大へと進学した。
高校三年間、付き合っていた彼氏とも、引っ越しを機にサヨナラをした。
すみれは遠距離恋愛を覚悟していたが、相手の方から「それは無理だ」と断られた。
初めて本気で好きになった相手だけあって、すみれは何日間かは泣いて暮らした。
入学して間もなく、課題、課題…に追われる毎日を過ごし、泣く暇も無く、彼の事は思い出になっていく。
だけど、夜、眠る時には、彼の事を思い出してしまい、何度、メールを送ろうかと悩んだ事か。
そんな日々の中でも、すみれは別れを受け止め、前へ進まなければならない。
そんなある日、学校の掲示板にすみれの尊敬する画家、フロワ・ティエドールがゴールデンウイーク期間中に来日し、世界展を開くというチラシが貼られていた。
そして、すみれは今日、それを見に来たのである。
さすが、現代の世界の巨匠と言われるだけあって、会場も3階建ての美術館の1階部分全部を使用しており、入り口には有名人からの花が多数飾られていた。
水彩画をメインに油絵も展示してあり、すみれは胸を踊らせて一枚一枚を見入った。
本人に会えたら、サインを貰おうと色紙も準備し、英語も勉強した。
順序通りに進むにつれ、角の入り組んだ死角部分に思わず見落としてしまいそうな場所に、一枝の先に桜の蕾が一つ付いている絵が飾られてあった。
そこには髪の長い若い男性の先客がいて、すみれは少し離れてその絵を見た。
咲きそうで咲かないぐらいの蕾が、すみれの胸を締め付けた。
彼と別れた時、校庭にあった桜の木が、ちょうどこんな感じだった。
桜は外国にもあるだろうが、日本の象徴とも言える花の絵をティエドールが描くのは珍しいなと思い、すみれはそれに見入った。
繊細で、綺麗な色使いに目が釘付けになり、10分はその場所から動けなかった。
それに夢中になっていると、ふいに隣に立つ男性に話しかけられた。
「…この絵…気に入ったのか?」
「え?」
声のする方を見上げると、切れ長の目が特徴の仏頂面をした男性が、顎に手を当てて、その絵を見ながら言った。
「ずっと見てるから、気に入ったのかと思って…」
「あ…ああ。はい。空の色と、薄く色付いた蕾がマッチしてて、とても綺麗です。ティエドールさんにしては珍しい筆使いだと思います。あの…お兄さんも、この絵を気に入ったんですか?私より長く眺めてますよね」
すみれが頬を染めながら、彼を見て話すと、彼は絵を見つめたまま突然、険しい表情をして、少し大きめな黒いショルダーバックを肩にかけ直しながら吐き捨てるように言った。
「こんな絵、好きじゃねえ…」
「えっ!?」
それだけ言うと、彼は、クルリと方向転換をし、その場を去って行ってしまった。
肩にかけたバックが少し重たそうで、何度も掛け直していた。
(ええ!?好きじゃないなら見なきゃいいのに!)
“変な人”と思いながらすみれは彼の背中を見送った。
その時、背後から話しかけられた。
「ソノ絵ハ、彼ノ恋人ガ描イタモノダヨ」
振り返ると、憧れの巨匠がすみれの後ろに立っていた。
「ティ…ティエドールさん!?」