短編

□郷愁
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はなかげ荘』参加企画
406号室 やまいぬ×べとべとさん



【 郷愁 】



 また秋が来た。
 すぐに木枯らしが吹いて、山は雪の布団を被って眠ってしまう。


 あの山は雪が深くて、夏の短い間しか人間が通らない。
 ――いや、もう人間は通らない。

 山は切り開かれて、麓の村は水底に沈んでしまったのだ。

 春が来ても、人間はもう通らない。


『ーーーーーー、ーーーーーー』


 その言葉を僕に言ってくれる人間は、もう通らない。


  ×


「人間の後ろを追うのを止めろって何回言えば分かるんだっ!このちんくしゃがぁ!!」


 唾を吐き散らして僕を怒るのは、同じ山で育った豺(やまいぬ)。

 正確に言えば、弱っているところを僕が拾った。
 そして、山の主さまの加護ですくすくと……僕より大きく育ってしまった。

 拾った頃は可愛かったのになぁ。
 ぷるぷるしてて、もふもふしてたのになぁ。
 力だけじゃなくて身体も態度も大きくなって、今じゃ可愛さの欠片も残っていない。

 頭ごなしに怒ってくるんだから嫌になる。


「聞いてんのかよ、チビ!! 人間の後を追い回すのはストーカーっつって犯罪行為なんだよ!」


 チビなのは分かってる。
 僕はもう500年以上この姿なんだ。
 もう成長する余地は残ってるはずない。

“巣戸岡”をすると、市中引き回しの上、晒し首の刑にされることも知ってる。

 あの山以外で人間の後を追っていくことはいけないことだって分かってる。
 分かってるんだ。


「ここに住む人間は“視える”奴等だし、他の妖怪だって暮らしてるんだ」


 豺の言いたいことは分かってる。

 周りに迷惑をかけるな。
 近隣との付き合い方を覚えろ。

 繰り返し聞かされて、もう耳にたこだよ。


「ここは、山とは違うんだ」


 分かってる。

 ここは、はなかげ荘。
 あの山じゃない。

 逆らえない流れがある。
 盛衰の流れ――時代の流れというものだ。

 文明開化という流れが、あの山を切り拓き、麓の村を大きな溜め池の底に沈めた。

 荒れて傷ついた山と一緒に、山の主さまは深い眠りについた。

 山の主さまの加護の下で生きていた僕らは、山を出て自力で生きる他なくなった。

 それができない力の弱いモノは、山の主さまと一緒に永く深い眠りにつくしかなかった。


 豺は前者だった。
 大きく強く育ってくれたのだ。
 まだ若いけれど、拾った頃のような衰弱した子どもじゃない。

 弱いのは僕のほうだ。
 本来なら僕は、山の主さまと永く深い眠りにつく後者なのだ。


『共に来い。いや、来てくれ』


 山の主さまが眠りについた日、豺は僕にそう言った。

 その時の豺の胸の裡は分からない。
 おそらく一人生き延びるのが怖かったのだろう。
 大きく強く育ったけれど、豺はまだ若い。

 僕の推測はあながち間違いじゃないはずだ。

 相変わらずぶっきらぼうな言い方だったけど、その眼差しは懇願に近かった。


「……そんなに、山に帰りたいのか?」


 あの時と同じ目を、豺は僕に向ける。
 頼りなく揺れる瞳は、昔拾い上げた衰弱した姿を思い起こさせる。

 雪の深いあの山で、豺を拾い上げたのは僕。
 拾ったのだから、面倒を見るのは僕の役目だろう。

 豺が1人で生きていく気になるまでは。
 あるいは、他の誰かを見つけるまでは。


 僕は豺のそばにいる。
 ――そう伝えるために、黒い鼻の先をちょんと触ると、豺の顔はぱっと輝いた。


「腹へったな。食堂行くか」


 途端に機嫌を良くした豺は、尻尾を振って部屋の戸を開ける。
 先に出ていこうとして、ぴたりと立ち止まる。

 そして、僕を見た。


「お先にどうぞ、べとべとさん」


 聞きたくて聞きたくて、
 どうしても言ってほしかった言葉。

 あの山で人間を追いかけては、その台詞を聞きたくて仕方なかった。


 笑う豺の隣を抜けて、僕は扉の外に出た。



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あとがき

読んでいただきありがとうございました。
月の船の行方byこさ

 

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