短編
□少年の春は惜しめども
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野球部が使う第2グラウンドの近くに、水道はない。
そのため、野球部員は顔を洗うにしてもわざわざ武道場脇の水場へと続くグラウンド東側の長い階段を昇らなくてはいけない。
水場への行き来だけでも筋力トレーニングを強いられる環境が、県内ベスト8常連の強豪校である要因ではないかと他校の野球部に揶揄されるが、過去20年間優勝したことのない現実は決定打に欠ける何かがあるのだろう。
グラウンドに撒く水をジョーロに貯めながら、オレ――飛鳥井 明(あすかい てる)はそう考えた。
マネージャーになって、他の部員が練習している最中も時間をあまり気にすることなく水場に来れるようになった今だからこそ客観的に考えることができた。
『テル先輩! 俺とテル先輩がいれば甲子園も夢じゃないっスよね!? ピッチャー二本柱で頑張りましょう!』
同じピッチャーとして共に切磋琢磨してきた後輩・狭衣 有(さごろも ゆう)の言葉を思い出す。
あの時、期待に満ちた後輩にオレは溜め息をついた。――オレ達ピッチャーが頑張っても点が入らないと勝てないんだぞ、と言いながら。
『俺がっ! 4番も目指せば!!』
呆れ果てて脱力するオレを見兼ねて、他の後輩達が狭衣を土下座させたことは今思い出しても笑いが込み上げる。
『ごめんなさいすみません許して下さいっ! バカなこと言いました二度と言いません。――俺はもっと投手として頑張るべきでしたっ制球に神経注ぎます!』
後輩のくせにガタイが良く、球種は少ないけれど投げる球のスピードは県内に知れ渡るほど速かった。制球――コントロールはあまり良くはなかったが。
対してオレはスポーツ選手として恵まれた身体ではなかったが、球種の多さとコントロールでどうにかピッチャーを続けることができていたのだった。
それも、もう今は……。
“日常生活に支障はないでしょう。しかし、スポーツを続けることは――”
水が貯まったことを確認して、蛇口を閉めようと利き腕――右腕を伸ばすが、堅く閉めることができず蛇口からはポタポタと雫が垂れる。
指先の力が入らない――高校に入ってようやく訪れた遅い成長期による骨格の変化が、筋力トレーニングから来る負荷に耐えきれなかったのだ。
肘から首にかけての痛みや指先の脱力を引き起す症状から病院で検査を受けた結果、肘の腱がすでにダメになってしまっていた。
ポタリ、ポタリと漏れ出す水滴は、身の内の抑えきれない感情に似ていた。
「あっれー? こんなとこで何してんスか?」
滴る水をぼんやりと眺めていたオレに話しかけたのは、だらしなく制服を着崩した後輩・狭衣。
そういえば今日は――いや、今日も狭衣が部活に顔を出していないと思い出す。
「お前こそ何してんだ?」
何故水場にいるのか、何故練習に来ないのか、2つの意味を含めて問い返せば、狭衣は顔を横に背けた。
「何処にいよーが何してよーが俺の勝手っスよ」
「……それもそうだな」
野球部入部当初から、狭衣はサボり癖があった。
そもそも3年生との折り合いの悪さが原因だったが、説得を続けて3年生が引退してからは真面目に部活に取り組むようになっていた。