短編
□少年の春は惜しめども
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またサボり癖が始まった頃、オレは肘が使い物にならなくなったショックから立ち直れず、狭衣を気にかける余裕はなかった。
そうするうちに、狭衣は野球部から足を遠ざかってしまったのだ。
「ホントにあんた、何してんスか?」
“あんた”の一言は、意外に胸に突き刺さる。
『テル先輩、好きっス』
呼吸をすることと同じように繰り返し言われたフレーズに、最初は面食らったものの次第にあしらい方を覚えていった。
そうやって接していく内に、いつも“テル先輩”と呼ばれて、2年の中では最も狭衣と親しいつもりでいたのだが……オレの勘違いだったらしい。
傷ついた心を悟られないように平然を装って、狭衣に応える。
「見て分かるだろ?」
マネージャーの仕事の最中だ。
夏は過ぎたとはいえ、乾燥する季節はグラウンドの砂がよく舞う。水を撒いて砂塵を減らすという地味に体力を使うマネージャーの仕事――サボり癖があるとはいえ狭衣も分かっているはず。
「何暢気にマネージャーやってんスか? 人を散々ピッチャーに、野球部に連れ戻しておきながら」
3年生の引退を機に、練習に顔を出すように説得したのは間違いなくオレ――否定する言葉も浮かばず黙って狭衣の言葉を聞く。
「怪我したからマネージャーに転向? あんたのピッチャーとしてのプライドはその程度かよ。それなら野球部も辞めちまえ」
「……狭衣それは、」
「人の気も知らずにのうのうとマネージャーなんかしてんじゃねぇ!」
口を挟む隙を与えない勢いのまま、狭衣はダンッと壁を叩いた。
驚いたのは、その音の大きさよりも左手――狭衣の利き手で叩いたということ。
「利き手でっ! 怪我したらどうする、大切な腕を乱暴に扱うな」
「その大切な腕を壊したアンタに言われたって説得力あるかよっ」
「――――っ、お前には壊してほしくないから言ってるんだ!」
狭衣に怒鳴るのは、これが初めてだ。
同じピッチャーのボジションに立つ人間として競争心も焦燥も覚えると同時に、チームメイトとして信頼を寄せていた。
そして何より先輩としての責任と自負があったからこそ、注意することや諭すことはあっても怒鳴ったことがなかった。
「人の気も知らずに……? お前だって、オレの気持ちは分からないだろ?」
滴る程度で抑えていた感情は、狭衣の言葉をきっかけに栓が抜けて、涙と一緒に濁流となって溢れ出す。
「悔やんでないと思ってるのか? 簡単に諦めきれると思ってるのか? 未練がないと思ってるのか?」
後悔も喪失感も胸の内に巣食ったまま。
怪我を気遣うような、腫れ物に触れるような扱いを受けることの煩わしさがあった。
チームメイトが練習をする傍らでマネージャー業務に従事することの虚無感もあった。
現状に満足できる要素なんて1つもなくて、未練は今もマウンドに置いてきたまま残っている。
「できなくても、したいんだよ野球が」
できなくなったからこそ野球をしたい気持ちが止めどなく溢れてくる。
野球部を退部したほうが諦めがつくんじゃないかと考えたこともあったけど、それでも留まった。
野球に関わっていたいという気持ちが勝ったことがその理由だ。
それ以上に、狭衣を――ピッチャーとしての姿を一番近くで見ていたかったのだ。
狭衣がマウンドに置いてきた未練を晴らしてくれるのではないか、と期待も込めていた。
だから、マネージャーに志願した。
「お前には、分からないだろ」
野球をしたくてもできない気持ちが。
十分に力の入らない指先のもどかしさが。
好きだと言われる度に芽吹いてきた感情が。
「ごめん、ごめんなさい」
濁流となった感情を止める術もなく嗚咽混じりに本格的に泣き出したオレを、狭衣がその身体でがっちりと抱き込んだ。
「すみません……許して下さい。無神経なこと言いました、二度と言いません。俺は、もっと……先輩と一緒に」
野球がしたかった――。
絞り出したような声が微かに震えているのを聞いて、抱き締めてくる狭衣の背中へ手を回した。
少年の春は惜しめども
留まらぬものなりければ
→あとがき