刃の下に心在り
□極彩色シグナル
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空は、いつも灰色だった。それがいつの頃からなのかは分からない。気付いた時にはもう、灰色だった。
「今日は天気が良いね」
そんな事はないのに。こんなに澱んだ曇天を、誰が。眼を遣れば、そいつの顔も灰色だった。
「本当に良い天気だな」
また誰かが言った。その誰かも、やはり灰色だった。予想はしていた事だった。
「三之助もそう思うだろう?」
「…ああ、良い天気だな」
だって、いつもそうだったから。最初は周りがおかしくなったのかと思った。けど、違った。おかしくなったのは。
「本当に、良い天気だ」
俺だけだった。空がいつも灰色でも、周りの奴らは何ら異常がある様には見えていないみたいだし、至って正常であるらしい。空の事は、何と無く言わない方が良い気がして、何も言わなかった。そうしたら、皮膚が灰色になった。いや、そう見える様になった。皮膚だけじゃなく、総てが。食べ物まで灰色になった時は、流石に初めは気持ち悪くて、食えなかった。もう、慣れたけれど。
「…………?」
ふいに、周りの音がしなくなった。見渡してみると、辺り一面灰色の森。ぞっとした。周りは総て灰色で、同じ色をした自分は、いずれ飲み込まれて消えてしまうのだろうと思った。どうか、その前に、誰か。
「………!……!」
微かに、人の声の様な音が、聞こえる。誰でも良い。人であれば。ここから連れ出してくれるなら。誰か。俺を。
「…誰か、」
「………け……すけ…!」
「……たすけて、くれ」
「……三之助ッ!!」
現れたのは、人だった。鮮やかな紅を振り乱して。萌黄色の制服に、痛い程映えた色をして。そいつは俺の名を叫んだ。
「さ、く…」
「勝手に…っいなくなる、な、とっ……あれ、ほど…っ」
荒く肩で息をする。朱に染まった頬に、汗が伝う。どうしてどうしてどうし、て。
「さく、」
お前は、色を、失わないのだろう。
「なんっ……お、ま…っなんて面してんだよ!」
「…どんな」
「……泣きそうな、餓鬼みてぇな面してる」
泣きそうな。餓鬼の様な。そんな。そんな顔をしているのか、俺は。眉間に紫波を寄せたまま、伸ばされた手は。
「ほら、早く帰るぞ」
くらくらする。暖かな手。灰色の森は消えていく。何か、誰か、頭をがんがんと叩いている。止まれ止まれと叫んでいる。誰が。何、が。
「さく、」
嗚呼、遅かった。打ち鳴らされた警鐘は、零れた言葉に掻き消された。俺の眼に、写る世界に。色が、溢れた。
「……なんだよ」
本当は、気付いてた。お前が俺の世界で一人だけ、色を失っていない事を。其れ処か、消えていく色の中で、鮮烈に色彩を放っていた事を。でも、知らないふりをした。ずっと、眼を、逸らしていたから。
「俺…俺は、」
俯いた顔は、見えない。さらりと零れた髪の隙間から、赤い、赤い耳朶が覗く。繋がれた手を、強く、強く握り締める。気付け。気付くな。頼むから。
「俺、は…」
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。この色に。想いに。お前に。理由に。気付いて、は。
「………遅ぇんだよ、ばか」
もう空は、灰色になってはくれなかった。
極彩色シグナル
(逃げろ、)
(逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ!)
(嗚呼、無駄だ最早遅い、遅い)
(この足を、一歩)
(踏み外したが、)
(最後)
極彩色の、奈落の底まで転がり堕ちる。
End.