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□かわいいひと
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〜かわいいひと〜


「かけおち…」
「?」

私は今日姫様に聞いた話を思い出してつぶやいてみる。
いつもの二人の部屋。
いつも以上にぼんやりとしていた私が急に口を開き、そうかと思えば、かけおちなどという普段耳慣れぬ言葉を発したのでヒノエも驚いている。

「どうしたんだい?急に」
「ねえ…」

私は、最近貴族のだれかがかけおちして行方をくらましたと、さきほど姫様から聞いてしまった。
それから、このなんともいえない気持ちを抱えたままなのだ。

顔も名前も知らないその人だけれど、彼は家族よりも仕事よりも、なによりも恋人を選んだ。
…それは、恋人たちにとっては幸せなことかもしれないけれど。
残された人々を考えると、残されたものを考えると、罪悪感は一生消えることがないかもしれない。

そう思うと、他人事でも、本当にそれしかなかったのかな、なんて悲しささえおぼえてしまったのだった。

「ねえ、もし湛快さんがヒノエと私が一緒にいることを反対してたとしたら、どうしてた?」

――…かけおちとか、してた?

こんなことを思うのなんて無駄なことだとは思いながらも、聞かずにはいられなかった。
ヒノエは他の人よりも大きなものを背負っている。
熊野と私、きっとヒノエは悩んだだろう。
けれど結局は両方とったわけで。

ヒノエは少しの沈黙のあと、

「そうだね」

私の頬を撫でる。
となりに座っていた私を膝の上に乗せて、私の手をじっと見つめた。

「…多分親父と決闘してたね」

あんまり真面目な顔で言うものだから、私はつい、ぷっとふきだしてしまった。

「ひどいね、本気なんだぜ?」
「だって…、てっきりもっと、」
「親父と決闘だって十分すごいことだと思うけど?」

よかった、そう思う。
熊野や家族も捨ててもいいと思う人じゃなくて、と。
なんだかすごく誇らしくて、ふふ、と目を合わせて笑った。
おでこをこつん、と合わせて私は目を閉じる。

しん、と澄んだ空気を感じる。


「…親父が賛成してくれてなかったら、本当に、オレはどうしようもなかった。きっと」

熊野もおまえも捨てられなかったから。
きっとそう続くはず。
そんなこと分かりきっているから、言葉はもう必要ない。

「だからさ、これでも親父には、すごく感謝してるんだよ。
 …絶対、言ってやんないけど」

はにかんだようにほほえむヒノエは年相応で、いつもの大人なヒノエは薄れた。

それもいい。
私は、ぽつりと心の奥を語ったり余裕のなかったりするヒノエがすきだ。
抱きしめて、包みこんであげたくなる。
支えてもらうだけじゃなくて、支えてあげたくなるのだ。

自然にヒノエの顔が近づいてくる。
私はゆっくりまぶたを閉じる…。

「よう、ヒノエ!なっかなか良いこと聞いたぜ。おっと、ははは、お邪魔だったようだな!」

私たちは目が点になる。
スパン、と障子を開けて、湛快さんが仁王立ちしているのだ。
なにを言っているか理解することもできずに固まっているうちに、姿を消してしまったけれど。

はっと我に返ってちらりとヒノエを見ると。

「…」

まだ、固まっているようで。

ふっと私と目が合うと、我に返ったようで、その瞬間、美しい髪の色のように頬を真っ赤に染めていた。
はあ、とため息をついたヒノエは、ぎゅっと私を抱きしめる。
ヒノエの表情は見えなくなる。

「…なんなんだよ、あいつ」

ああ、この気持ち。

私は、ヒノエの髪に手をさし入れて、さらに抱き寄せた。
ちゃんと少年に見えるヒノエ。
湛快さんも嬉しかったんだろうな、なんて考えて、ぽわんと心が温かくなった。
照れているヒノエも、こんな形ではあったけれど、本当は伝えられてよかったと思っているはずだ。

きゅ、と私の着物をつかむ大きな手がやけに愛しくて、ふふ、と私は笑ってしまった。

ヒノエがヒノエでよかった。
この、やさしい空気。
今日はなんていい日なんだろう。

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