『Die Bedeutung der Existenz.
―おれんじねこの存在意味―』
あるところに、おれんじねこがいました。おれんじねこはいつもひとりぼっちでした。きのよわく、さびしがりやなおれんじねこには、ともだちがいませんでした。
あるひのことです。おれんじねこはいつものようにひとりあそんでいました。すると、そこにやってきたのはまっしろなねこでした。しろねこはいいます。きみはひとりなのか、と。おれんじねこはうなずきました。
「じゃあ、わたしがあんたのともだちになるよ」
しろねこのことばをきいて、おれんじねこはすごくよろこびました。
おれんじねことしろねこはいつもふたりでいました。どこかにいくのもいっしょ。なにかをするのもいっしょ。いつもとなりにいて、なかよしでした。
おれんじねこはいいます。「ぼくがきみをまもるよ」
しろねこはいいます。「だったら、わたしはあんたをまもる」
『だから、ずうっといっしょにいようね』
ふたりのねこはやくそくをしました。
しかし、そのやくそくははたされることはなく、おれんじねこのまえからとつぜん、しろねこはいなくなってしまいました。
ひとりぼっちにもどってしまったおれんじねこは、ふたたびさびしいまいにちをおくっていました。
そんなときです。おれんじねこのもとに、ちいさなくろねこがあらわれました。からだはちいさくともいせいのよいくろねこは、おれんじねこのせんせいになります。
おれんじねこはくろねこせんせいとのひびに、とまどいながらも、たのしく、いそがしいまいにちをおくっていました。
しだいにおれんじねこにはともだちがふえ、あかねこにあおねこ、きいろねこにみどりねこ、むらさきねこ、あいいろねこと、たくさんのなかまができたのです。
それでもおれんじねこはどこかさびしそうでした。なぜならそこには、かつてのともだちのしろねこはいないからです。
それはいつのころだったか、おれんじねこはしろねこにあわい、こいごころをいだくようになっていました。ながいつきひがすぎようとも、おれんじねこのはつこいは、いまもまだどこにいるのかもわからない、しろねこへとむけられていました。
あるひのことでした。
おれんじねこのすむまちに、わるいひとたちがやってきました。そのひとたちは、おれんじねこのすむまちのあんぜんをおびやかす、おおきなそんざいでした。
おれんじねこは、みんなをまもるためにたたかいます。なんどくじけそうになってもあきらめません。
ともだちのあかねこたちも、おれんじねこをてだすけします。みんな、おれんじねこのことがだいすきでした。
そんなさなかに、ようやく、おれんじねこはしろねことさいかいしました。まっしろなけなみはかわらず、きれいな女の子で、おれんじねこはふたたび、かのじょにひかれていきます。ざんねんながらしろねこはおれんじねこのことも、やくそくのこともおぼえていません。それでも、おれんじねこはしろねこだけをみつめていました。
たくさんのしれんがおれんじねこにふりかかり、おそいます。しかし、きずついてもきずついても、なんどでもおれんじねこはたちあがっていきます。そこに、かつてのひとりぼっちだった、おれんじねこのすがたはありません。
きおくをうしなってもなお、おれんじねこはしろねこにいいます。
「きみは……、おれがまもるよ」
やくそくをおもいだしたしろねこはいいます。
「だったらあんたはわたしがまもる」
――それは、むかしむかしにかわしたやくそくでした。
おれんじねこはなかまたちとともにたたかいます。さいごのたたかいをむかえます。
やがて、ながい、ながいたたかいをおえたおれんじねこは、もうさびしくはありません。なかまたちと、かれのだいすきなしろねこがいます。
『ずうっと、いっしょにいようね』
やくそくは……かれのたいせつなおもいは、いまもそばにありました。
おれんじねこはわらいました。そらをみあげて、まんめんなえがおをうかべました。
おしまい。
14.06.03.